渋沢栄一・血洗島村に産まれる!「青天を衝け」2021年NHK大河ドラマ 

2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一氏について、その生涯を紹介していきます。

大河ドラマを10倍面白く観るためには、まず主人公となる人となりを知り、それに関連する人物たちに思いを馳せ、まずは自分がいったんストーリーを作ってみることです。

時代背景や人物像が、ドラマの中では全く違うものかもしれません。

または自分が描いたものとほぼ同じであれば、達成感さえ感じられます。

そんな醍醐味を感じて欲しくて、筆者は今回も渋沢栄一氏を徹底的に調べていきたいと思っています。

渋沢栄一氏の前回の記事はこちらへ ☟☟

渋沢栄一とは 簡単にいうと?「青天を衝け」2021年NHK大河ドラマ 

 

渋沢栄一氏・血洗島村に産まれる

血洗島って、横溝正史シリーズのようなおどろおどろしい地名ですよね。

渋沢栄一は、1840年(天保11年)武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)に産まれました。

栄一が幼いころ、血洗島村には17軒の渋沢家があったそうですから、この土地の名家だったのでしょう。

同じ苗字が多い地域は屋号で呼ばれることが多く、本家は「中の家(なかんち)」と呼ばれていました。

栄一の父は「東の家(ひがしんち)」で生まれましたが、本家の中の家が傾き始め、それを立て直すために婿入りしています。

ですから栄一が生まれたのは、本家にあたる中の家でした。

中の家は武州藍の商いをしていました。

藍染に使う藍の葉を買い付け、発酵・熟成させて藍染業者に売るのが稼業です。

この仕事は実入りが多く、栄一の父・市郎右衛門は藍の葉の目利きが特に優れていたため、本家の再建以上の儲けを得ていました。



 

渋沢栄一氏が幕政に憤りを感じた最初の出来事

幕府の財政のみならず、諸大名の財政もひっ迫してきた江戸時代末期。

藩は、先祖の法要・若殿の元服・姫の嫁入などなど、何かにつけて年貢以外の御用金を豪農や商家から徴収していました。

変わりに武士だけに許された名字帯刀を許していたのですから、幕政が終わりに近づいている兆しが見える時代でもありました。

農民や町民が武士になりたいと希望を持ち、実際なれてしまったという時代です。

陣屋から呼び出しがあった日、父・市郎右衛門は風邪で寝込んでいたため、代わりに栄一が出向きました。

「姫様のお輿入れにかかる御用金500両。有難くお受けしろ」という、代官からの上から目線の命令でした。

1両が現在の13万円くらいですから、650万円という大金です。

しかも渋沢家からは既に2000両もの大金を御用金として納めています。

現在でいうと2600万円ものお金が、戻ってくるはずのない御用金として献上させられているのです。

栄一は「父の名代としてご用向きを伺ってくるようにと言われただけですから、御用金の額だけを承っていったん戻りたい」と代官に告げたのです。

中の家の売上は、当時で年間1万両(1億3千万)くらいあったそうですから、痛くも痒くもない金額だったかもしれません。

しかし代官の横柄な態度と口汚い罵りを浴びているうちに、こうした現状に怒りを覚え幕政にまで思いを馳せて鬱々した気持ちを持つことになりました。

帰宅後、父にこの経緯を話すと、父はこう言ったそうです。

「栄一の言い分は間違っていない。しかし領主には理屈では勝てない。正しい理屈を押しとおすことで、屁理屈を持って意地悪くされたりするのが常だ。だから今回もお受けする以外ないのだ」と。

栄一はこれを機に「立派な武士になりたい」という夢を持ちました。

立派な武士になって、腐った幕政を改革したいと正義感に燃えたのでしょう。

それが一転して討幕へと傾いていくのは、儒学者たちとの出会いであり、中でも尾高惇忠の影響が大きいようです。

次回は尾高と栄一の関係を紹介します。



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