もしかして天下人? 三好長慶の一生

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも、京の場面などで、時々チラッと登場している三好長慶が気になります。

演じているのは山路和弘さん、強面な感じで、強そうな存在感を出しています。松永久秀の主君でもありますね。

三好長慶の一生を語ったら、数ページに及んでしまいそうなので、簡単に概略を紹介します。



三好長慶の生い立ち

三好長慶は、細川晴元の家臣・三好元長の嫡男として、1522年に生まれました。

父・三好元長は、細川晴元の中では、群を抜く実力者で、それを好ましく思っていた晴元でしたが、やがてはその力を恐れるようになりました。

そして山科本願寺と結託して一向一揆を起こし、元長を殺してしまうのです。

長慶はこのとき、母と逃げて無事でした。

ところがこの一揆衆の歯止めが効かなくなり、暴徒化し、細川晴元の命さえ狙うようになったのです。

淡路島まで撤退を余儀なくされ、細川靖国というライバルまで現れて、やむなく和議をせざる得なくなっていたのです。

その和議の立役者が、なんと元服前の三好長慶だったという資料が残っています。

父を殺した細川晴元を助け、父と同じようにその家臣となった三好長慶ですが、その心中は複雑だっただろうと思います。

三好長慶が主君・細川晴元を追放

1548年、三好長慶26歳のとき、事件が起きます。

同じ三好家一門に、三好長慶とは、冷え込んだ関係の三好政長という人物がいました。

この人物が、細川晴元によって自刃に追い込まれた池田信正の家を奪おうとしたのです。

それの成敗を名目に、三好長慶は兵を出しました。

当然ながら、三好政長らを打ち取り、その勢いのまま、当時の将軍・足利義晴と息子・義輝、主君・細川晴元までも、京から追い出しました。

将軍たちは、銀閣寺の近くで陣を張り応戦しましたが、12代将軍・足利義晴は戦士。

嫡男の13代将軍となる、足利義輝は、あっけなく退却しています。

ここで三好長慶は、天下人になったといっても過言ではありません。



麒麟がくるのシーンは作り物・・・知ってるけどww

足利義輝は、多くの家臣たちの信頼も亡くしています。

まともに戦っても、決して勝てるはずがない!ということで、三好長慶の暗殺を企てます。

光秀が奮闘し、三好長慶や松永久秀を救ったという体で麒麟がくるは作られていました。

壁の後ろにいて、「将軍様が戦をやめろと仰せにならねば、世は平らかにはなりません」という光秀の言葉を、悲しげな顔で聞いていた将軍・義輝は、実は暗殺計画の首謀者だったのです。

屋敷に火をつけようとしたり、刺客を送り込んだり、さんざん悪あがきをしています。

三好長慶は、黒幕が将軍であることに気が付いていたようです。

将軍を京に呼び戻し、その家臣という位置づけに自分をおきましたが、権力を全て渡すようなことはしませんでした。

それはそれで不満な将軍は、再び戦を企てます。

これには長慶も業を煮やし、将軍に味方する者の知行を没収するいう通達を出したほどです。

結果、義輝は再び約5年もの間、朽木の地で潜伏を余儀なくされてしまうのです。

三好政権の確率

蠅のようにうるさかった義輝を京から追い出すと、三好政権の確率を目指します。

松永久秀らの活躍で畿内を平定、摂津・山城・和泉・丹波、播磨東部を支配下におさめ、弟たちも阿波・讃岐・淡路・伊予東部まで勢力を拡大していきます。

財力もあり力も強い三好長慶に、朝廷もなびいていきます。

武士の庇護がなくては生きられない当時の朝廷は、将軍を無視して、三好長慶に庇護を求めたのです。

これにプライドが傷つけられたのは、将軍・義輝でした。

ジタバタし始めた将軍の動向を察知した長慶は、再び将軍と和睦します。

これは武家社会の秩序を保つという意味もあったようです。

長慶にしても、足利将軍の後ろ盾として、さらに大きな権力を手に入れるという収穫もあります。

そして権力そのものは、長慶が握ったままという構図です。

将軍の意を借りた形で、長慶は各地の戦に介入し始めました。

三好長慶の誤算

それまでの戦は、三好長慶に敵対する者を攻め落とし、結果として領土が増えてきたという流れでした。

しかし、各地の戦に介入するというのは、三好家とは何も関係ない城を攻め落とし領土としていくというものです。

これには近隣の大名たちが、不安を抱き始めたのです。

そんな中、三好長慶の軍事的要職にあった十河一存が死去。

続いてもう一人の片腕、三好実休が戦死してしまいました。

これを待っていたかのように、反三好勢力が一気に活気づきます。

そうです!

この敵対勢力の黒幕は、13代将軍・足利義輝です。

こうした状況の中、長慶の嫡男・三好義興が病死してしまうのです。

弱り目に祟り目とは、まさにこのことです。

三好長慶自身が、ここにきて精魂尽き果てたという状態に陥ってしまったようです。

三好長慶の最後

天下を手中にしたと思われた三好長慶は、静かにこの世を去りました。

享年43歳。

今でいったら働き盛りの年齢です。

一説には、強度の鬱だったのではないかともいわれています。



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