二条城といえば、徳川の世が始まり、そして終わった場所です。
京都の世界遺産二条城へは、就学旅行で行ったという人も多いのではないでしょうか?
二条城は徳川のお城と思っていたのですが、実は紋が菊の紋だということを知っていますか?
二条城が時代のターニングポイントを担ったのは間違いありませんが、紆余曲折の歴史があったようです。
二条城の見どころと行き方を紹介します♪
世界遺産 京都二条城の見どころ
二条城は1603年、徳川家康が上洛した際に泊まるための城として築城されました。
徳川家康が天皇から征夷大将軍に任命され、重臣や公家たちを招いて酒宴を開いたのも二条城です。
家康が豊臣秀頼を殺そうと決意したのも二条城でした。
1611年二条城であった秀頼は、かなりのカリスマ性を感じさせる青年に成長していたそうです。
一説には、身長196㎝、体重160㎏という飛んでもない巨漢だったともいわれています。
そして、徳川幕府の終焉、大政奉還が行われたのも二条城でした。
しかし、三代将軍家光から200年、十五代将軍慶喜が入場するまで、二条城を訪れた将軍は一人もいなかったそうです。
さて、この二条城ですが、初めから終わりまで全て徳川の城という印象ですが、なぜ菊の紋なのでしょうか?
二条城の現在の正式名称は「元離宮二条城」。
明治維新後は徳川家から皇室所有になり「二条離宮」と名前が変わりました。
その後旧宮内省から京都市へ下げ渡されて、現在は京都市の所有となっています。
さて菊の紋ですが、明治維新後皇室所有になった際、葵の紋の上に蓋のように菊の紋を被せたものです。
全ての紋が菊の紋に変わっているわけではなく、一部葵の紋のままの場所があるそうです。
隠れ葵の紋を探しながら、二条城を歩くのも楽しいのではないでしょうか?
築城当時からの天守を残る「現存天守」は12の城だけで「現存十二天守」とも呼ばれ、当然二条城もその貴重な城の一つです。
しかし、二条城はそれだけではありません。
住まいの部分である「御殿」が現存するのはたったの4つ、高知城・掛川城・川越城と二条城のみです。
その中でも御殿として国宝の指定を受けているのが二条城だけなのです。
江戸時代初期の住宅様式である書院造がそのまま残っており、日本の建築史上重要な建造物とされています。
鶯張りの廊下、二の丸御殿にある3000面以上の障壁画、大政奉還がなされた大広間の四方が丸くなっている「折上格天井(おりあげごうてんじょう)」と呼ばれる書院建築。
書院建築の中でも一番格式の高い形状で、一の間は将軍の頭上部分がもう一段上がった「二重折上格天井」になっています。
蘇鉄の間を過ぎる黒書院と呼ばれる部屋があります。
重臣などと会見する場所で、壁画も柔和なものに変わってきます。
その奥の白書院は、寝室などのプライベート空間で壁画も水墨画などに変わります。
それぞれの部屋の意味に合わせた壁画の違いなども見どころになっています。
京都 二条城への行き方
京都二条城への行き方を紹介します。
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京都市バス「二条城前」下車すぐ、地下鉄東西線「二条城前」下車すぐです。
入城料金:大人600円 中高校生300円 小学生200円
開城時間:8:45~16:00(閉城17:00)
休城日:年末年始12月26日~1月4日、12月・1月・7月・8月の毎週火曜日
まとめ
二条城の歴史や見どころを紹介し始めたら、書ききれないくらい沢山あることに驚いています。
目を凝らして隅々まで見たいと、筆者自身が思ってしまいました。
家康が築城してから、何度も改修されて現在の形になった二条城ですが、200年もの長い間、将軍が来なかった二条城は、どんな風に管理されていたのでしょうか?
そんなことも、二条城に行ってみたら分かるのかもしれませんね。
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