坂本龍馬ゆかりの地五島 何故ここに龍馬?

 

坂本龍馬ゆかりの地、五島と聞いて「知ってる」という人は、既に龍馬通を名乗って良いレベルです。

五島ってどこ?とか、長崎に近いから?と思った人は、これから紹介する龍馬と五島の関係を読んでください。

五島についても詳しく紹介しますので、訪ねる際の参考にしていただけたらと思います♪

 

坂本龍馬と五島の関係

 

五島にある坂本龍馬ゆかりの地、スポットはたった1か所です。

その名も、坂本龍馬ゆかりの広場に「五島祈りの龍馬像」は建っています。

2010年5月に誕生した『五島祈りの龍馬像』は遠くを見ながら合掌し、祈りを捧げる姿をしています。

1866年5月2日、坂本龍馬が亀山社中としてグラバーから購入した木造帆船ワイル・ウエフ号が、潮合崎で大暴風雨にあい遭難してしまいました。

船には龍馬が可愛がっていた社中メンバー池内蔵太をはじめ、16名中12名の同志が若くして海に没してしまったのです。

この時龍馬は、寺田屋事件で受けた左手の負傷を療養する為に鹿児島に滞在していました。

6月14日に下関に向かう途中で社中の一行を連れ、上五島に渡って村役にお金と自らしたためた碑文を渡して慰霊碑建立を依頼したと言われています。

五島の龍馬ゆかりの広場には「龍馬ゆかりの地」と記された石碑とワイル・ウエフ号の舵取り棒のレプリカがあります。

実物の舵取り棒は、ゆかりの広場近くにある民宿「潮騒」に保管されています。

若くして命を落としてしまった仲間たちの追悼に一度だけ五島にやってきた坂本龍馬。

たったそれだけでもゆかりの地ができてしまう龍馬の凄さを伺い知ることができますね。

 

 

 

五島について

五島ってどこ?と思っているあなたに、五島について解説します。

五島は今や世界遺産の一つ、「潜伏キリシタン」の島です。

昔はもう少し情緒のある「隠れキリシタン」という言葉が普通でしたよね。

龍馬像のある上五島町は、長崎県南松浦郡にあった町です。

2004年8月1日に若松町、新魚目町、有川町、奈良尾町と合併し新上五島町となりました。

平成30年6月30日、バーレーンで開催中の第42回世界遺産委員会において、本町の構成資産「頭ヶ島の集落」を含む「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されました。

五島ブルーと言われる美しい青く澄んだ海も必見の価値があります。

潜伏キリシタン達が大切に守ってきた教会が、当時の面影を残したまま沢山現存しています。

  • 西日本では珍しい石造りの教会、頭ヶ島天主堂
  • 潜伏キリシタンの集落、五島列島北部に位置する頭ヶ島集落
  • 県指定重要文化財のレンガ造りの教会大曽教会
  • 波穏やかな水面にその姿を写し、内観に大きな椿のような模様が施されている中ノ浦教会
  • レンガ造りの教会堂としては珍しい日本的な格組折上天井をもつ福見教会
  • 旧教会の正面入口の鐘棟は、浦上天主堂の被爆レンガが使用されている旧鯛之浦教会
  • 2007年に火災にあうが、大正末期の姿に復元された教会江袋教会
  • 国指定重要文化財に登録されたレンガ造りの青砂ヶ浦教会
  • 1897年に中五島最初の小教区として設立された桐教会
  • 町内で最も西に位置する有福島に建ち、木造で小さいながらも重層屋根をも持つ有福教会
  • 旧大曽教会を移築し、内部には初期木造建築の様式が確認できる土井ノ浦教会
  • 若松島の北東部に建ち、白亜の外観と空にそびえる十字架鐘楼が重厚感を醸し出す大平教会
  • 青方湾を見下ろし、洋上石油備蓄基地を一望でき、インスタ映えには最適な夕日とコラボが人気の跡次教会

この他にも14か所の教会が建ち、キリシタンたちが信仰を続けた洞窟や、キリシタンたちの墓地が残されています。

 

 

まとめ

 

坂本龍馬のファンは、年齢性別に関係なく沢山いるだろうことは推察できます。

龍馬がここに来たという史実があれば、現地の人にとっては観光資源となり得るのでしょう。

龍馬が没してから150年以上の歳月が流れてもなお、こんなに憧れを持って愛されている英雄はいないのではないでしょうか?

ファンの一人として、誇らしささえ感じました♪

 

 

 

 

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