京都を旅行するとき、有名な神社仏閣を回るのも良いですが、坂本龍馬ゆかりの地にスポットをあてて散策するのもお勧めです。
京都にはこれでもか!というほど、坂本龍馬の足跡が色濃く残っています。
沢山ある史跡の中から、龍馬ファンならぜひ行ってみたい場所を紹介します。
京都旅行の参考にしてください♪
坂本龍馬関連史跡紹介
名所の名前、地図、エピソードなどを交えて紹介します。
坂本龍馬の京都での行動範囲は、それほど広いものではなく土佐藩邸の周りなどに固まっています。
1日のんびり歩こうと思えば、移動時間を含めても十分観光することができます。
明保野亭
産寧坂の途中にある料亭で、現在も営業をしています。
志士たちが密談を行った場所で、龍馬の定宿の一つでした。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3268.4116562666973!2d135.77880631470612!3d34.99639898035963!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x600108d1da62c47d%3A0x9a9a055758188384!2z44CSNjA1LTA4NjIg5Lqs6YO95bqc5Lqs6YO95biC5p2x5bGx5Yy65riF5rC077yS5LiB55uu77yS77yS77yS!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1547729265284&w=600&h=450]霊山歴史観
坂本龍馬を暗殺した刀などが展示されています。
詳しくは霊山歴史館の紹介ページを参考にしてください。
京都霊山護国神社
坂本龍馬だけではなく、数多くの名だたる志士たちが眠っています。
詳しくは京都霊山護国神社の紹介ページを参考にしてください。
円山公園
公園の東側、庭園の奥に坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像があります。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3268.112842659309!2d135.77872811470633!3d35.003880280357684!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x600108dcae68a29b%3A0xeb260d8a2775cd4b!2z5YaG5bGx5YWs5ZyS!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1547730025302&w=600&h=450]近江屋跡
坂本龍馬終焉の地です。
「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」という立て看板があります。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3268.044299352788!2d135.76690571470655!3d35.00559618035732!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x600108948c01de71%3A0x4ff32a66821d0c2b!2z6L-R5rGf5bGL6Leh!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1547730199087&w=600&h=450]寺田屋
龍馬が伏見奉行所の捕吏に襲われた際、おりょうさんの機転で難を逃れたという話は有名です。
1階で入浴中だったおりょうさんが、外の騒動に気が付いて2階にいる龍馬に知らせるため裸で階段を駆け上がったとか。
ピストルの弾の跡や刀傷などが再現され、当時に思いを馳せることのできる建物として公開されています。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3271.0451307246335!2d135.75738781470392!3d34.930405080376154!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x60010f8db695dc13%3A0x8d5aa0103ac0ca5d!2z5a-655Sw5bGL!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1547730538084&w=600&h=450]土佐稲荷
当時は土佐藩邸の中にあった稲荷神社です。
坂本龍馬もお参りしたかもしれません。
稲荷神社の境内には、坂本龍馬の銅像があります。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3268.0189528863743!2d135.76759651470667!3d35.006230680357106!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x6001089494ceaaab%3A0x73a6b356b44320ff!2z5Zyf5L2Q56iy6I23ICjlsqznpZ7npL4p!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1547730746904&w=600&h=450]坂本龍馬寓居跡「酢屋」
坂本龍馬だけではなく、海援隊もかくまっていたといわれる材木商です。
酢屋は建物の梁などは当時のままです。
現在は1階に木工芸品販売「創作木工芸 酢屋」、2階には「ギャラリー 龍馬」があります。
ここは龍馬が大政奉還前に姉である乙女に5mにも及ぶ長い手紙を書いた場所としても知られています。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3267.9304827883057!2d135.76773031470657!3d35.00844528035668!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x60010893400d3e25%3A0x79369a650b8b90fc!2z6YWi5bGL!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1547730949639&w=600&h=450]龍馬とおりょうが結婚式をあげた場所
龍馬とおりょうは1864年青蓮院の塔頭・金蔵寺の住職の媒酌により結婚式をあげたとされています。
跡地はマンションになっていますが、石碑があるので当時を偲ぶことができます。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d13071.903081801089!2d135.77440622586758!3d35.007311646421776!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x600108e7e8e10921%3A0x86aae3b63f2d057!2z5Z2C5pys6b6N6aasIOOBium-jeOAjOe1kOWpmuW8j-WgtOOAjei3oQ!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1547731335910&w=600&h=450]龍馬神社
坂本龍馬をご神体として祀った神社です。
坂本龍馬の故郷土佐にも龍馬神社がありますが、京都の龍馬神社は二つ目ということです。
ホームページはこちらです。
京都時代の坂本龍馬の人間関係
龍馬を暗殺しようとする輩がいるという事は、龍馬自身も知っていたようです。
鬼神のような活躍で、大政奉還というシナリオを作り上げ、それを実現した直後の暗殺でした。
この頃の龍馬は、脱藩した罪を許され土佐藩勤王の志士として維新の中枢にいました。
薩摩藩が後ろ盾になっていた亀山社中も、土佐のバックアップにより海援隊として活躍するようになっていました。
暗殺される直前、薩摩藩邸に身を隠したらという助言もあったようですが、「今更それは・・」と返答したといわれており、こうした人間関係が根本にあったせいかもしれません。
神代の時代から続く天皇制、坂本龍馬の大政奉還という発想。
これが噛み合ったことで、世界に類を見ない革命が行われたのです。
まとめ
京都の古い街並みを歩くだけで、もしかしたら龍馬の足跡を踏んでいるという事もあるかもしれません。
短い生涯を熱く生き夢半ばで倒れた龍馬ですが、幕末という時代が彼を必要としたのではないか、そんな風にさえ思えます。
坂本龍馬のファンとしては、ぜひ京都の坂本龍馬ゆかりの地をこの目で見たいものですね♪
コメントを残す