2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一たちはフランスで開催されたパリ万博に、日本からの初出展を成功させました。
しかしその後ろで、同じようにパリ万博に出店していた薩摩藩が暗躍していたのです。
渋沢一行は、一気に窮地に追い込まれます。
異国の地でも薩摩には勝てなかった・・・幕府の弱さが露呈します。
渋沢栄一の危機 パリ万博の裏舞台
パリ万博に経つ渋沢栄一たちに、勘定奉行の小栗はこう言いました。
「フランスでの滞在費はご心配ありません。
借款契約先のクーレと名誉総領事のエラールが心得ております」
渋沢栄一たちが宿泊代や借家の家賃、生活費として日本から持参したのは5万ドル。
ところがパリ万博の1年前に幕府とフランスが締結した600万ドルの借款契約が泡となって消えてしまったのです。
5万ドルでは到底足りない渋沢たちは、クーレとエラールを通じて3万ドルを借りて凌いでいたのが実情です。
なぜこんな事態が起きたのでしょうか?
●イギリスからのイチャモン
●薩摩藩の暗躍
総じてフランスが心変わりを起こしたのです。
では、それぞれを少し詳しく説明しましょう。
イギリスからのイチャモン
イギリスは薩摩や長州とドンパチした後、逆に彼らの後ろ盾となりました。
出遅れたフランスは何とか日本に自分たちの足場を築きたいと、幕府に近づいた結果がパリ万博だったわけです。
そして貧乏な幕府にお金を貸してあげる代わりに、日本とフランス両国で設立する交易組合を通じて、日本の質のいい生糸を輸入するという狙いがありました。
当時のフランスは生糸を作り出す蚕の病気が蔓延し、絹織物業が危機に瀕していたという切実な理由もあったようです。
ところがイギリスとフランスは自由貿易を謳う「修好通商条約」に調印しています。
日本とのフランスとの間に独占的な貿易が可能になるのは条約違反ではないかと、イギリスが激しく抗議してきたのです。
フランスの皇帝ナポレオンは、政策の失敗や戦争などで孤立を深めていた時期で、イギリスとの溝を深めることをしたくない事情もありました。
薩摩藩の暗躍
薩摩藩はパリ万博の出展に際し、幕府と対等であることを主張しました。
陳列には「薩摩琉球国」として島津家の家紋を掲げ、それを強調したのです。
またこれにはモンブラン伯爵なる人物もかかわっています。
彼は以前使節団がパリを訪れた際の世話係的な立場にありました。
しかし言動が信頼できないとして、幕府は彼を嫌ったのです。
この幕府側の態度に腹を立てていたモンブラン伯爵は、薩摩藩に近づきます。
そしてパリ万博における薩摩藩の代理人として、薩摩藩のために大いに貢献したのです。
伯爵の提案で薩摩藩は「薩摩藩琉球勲章」を作り、ナポレオン3世をはじめ各国要人に配りました。
当時の国際社会において、勲章は親善外交の輪を広げるための何よりの方法だったのです。
またこれにより、薩摩琉球国が独立国であるかのような印象を与える効果もありました。
幕府も黙ってこれを見ていたわけではありません。
薩摩藩は幕府の支配下にあると主張するも、それは日本国と琉球国の問題でフランスは関りがないとし、幕府側にフランスがつくことはありませんでした。
こうした様子を見ていたフランスの要人たちが、幕府の存在に疑念を持たないはずはありません。
薩摩や長州などと同じ「藩」という形態があり、その頂点が幕府であることは認識していたでょうが、その幕府の弱体化に不安を感じもしたでしょう。
大金を幕府に貸し付けたとしても、そのお金が戻ってくる保障がないというのが、この時の真実だったのですから。
フランス国内の事情と薩摩藩とそれを支援するモンブラン伯爵の暗躍によって、幕府が当てにしていた借款は泡と消えてしまったのです。
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