2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一と、明治維新の立役者・西郷隆盛の関係を紹介します。
渋沢栄一が大蔵省を辞職したところまでを追ってきましたが、西郷隆盛との出会いはもっと前のことになります。
なので、時間を少し巻き戻しての紹介となります。
渋沢栄一と西郷隆盛の出会い
2人が初めて会ったのは、まだ幕府と薩摩藩の関係が良好だったころに遡ります。
覚えていますか?
一橋家に仕え始めたころ、渋沢栄一は薩摩藩に送り込まれています。
薩摩藩主・島津久光の動向を掴むというのが狙いでしたが、同様に、西郷隆盛とも話をしいてこいという内偵の支持でした。
当時、西郷隆盛は37歳、渋沢栄一は25歳というときでした。
西郷隆盛は茫洋とした大男、渋沢栄一は賢そうではありますが小柄な男という、対照的な2人です。
西郷隆盛は、渋沢栄一に尋ねました。
「最近の幕府について、どう思うか?」
それに対し渋沢栄一の答えは、「幕政改革で、見た目はよくなったように感じますが、その中身は腐ったままです。老中政治という幕政の根本を変革しない限り、幕府が変わることはできないでしょう」
それを聞いた西郷は、少し驚いたようです。
幕府の中心ともいえる一ツ橋家の家臣が、幕府はダメだと言ってのけたのです。
「おはんは、どぎゃんな人でごわすか!?」
そこで渋沢栄一は、自分のこれまでの人生を、西郷隆盛に詳しく語ったといわれています。
埼玉の豪農の出身であること・一度は討幕を考え活動していたこと・幕府に目を付けられ一ツ橋家に逃げ込み家臣となったことなどを聞いていた西郷は、渋沢栄一が的確に幕政の現状を掴んいることに納得したようでした。
そのころの西郷は、幕府を倒そうとは考えていなかったようです。
国政の中心を京に替え、一ツ橋家や薩摩藩などの雄藩の長が政策を審議し、国策を決めていくというのが基本的な考えだったようです。
諸般の俊英による政策を審議する機関をつくるというのが、西郷隆盛がやりたかったことだったのです。
その中心に、一ツ橋義信をと思っていたようですが、西郷いわく・・・「ただ、慶喜公は腰が弱くていかん」と、ぼやたとか。
どうやら西郷隆盛は、人を見る目も十分に肥えていたようです。
夷人と同じものを食らう
西郷隆盛は、どうやら渋沢栄一が気に入ったようです。
多くをかたらない寡黙な男として知られて西郷隆盛と、渋沢栄一の最初の会談は長引き、夕食の時刻になってしまったそうです。
そこで食べたのが「豚鍋」でした。
豚鍋は西郷の大好物でしたが、当時の日本にはまだ豚や牛を食べるといった食文化はありませんでした。
豚鍋を見て驚いた栄一を見て、西郷は愉快そうに笑い、こう言いました。
「夷人と同じものば食わんと、戦をしても勝ち目はなか」
実は渋沢栄一の主である一ツ橋慶喜も、豚肉が大好きでした。
慶喜のあだ名なが「豚一殿(ぶたいちどの)」だったのは、豚肉をよく食べる一ツ橋公からきてまいます。
豚肉は、このころ、どこでも手に入るといったものでは無かったため、一ツ橋慶喜から薩摩藩に「送ってほしい」という催促が
度々あったようです。
渋沢栄一も、豚鍋が気に入ったようで、この後3度も、西郷におごってもらっています。
渋沢栄一は初めて西郷隆盛と出会い、長い時間話をし、彼のもつ奥深さや親しみ安さ、人の言葉に耳を貸すという素直さなどにふれ、並みの人物ではないと感じたと語っています。
西郷の思いは叶うことなく、この後、国を二分する明治維新へと時代は流れていきます。
明治政府に召喚された渋沢栄一は、そこでも西郷隆盛と顔を合わせることになりました。
次回は、明治政府内での西郷隆盛と渋沢栄一の交流について紹介しましょう。
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