2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一の母・渋沢ゑいとは

2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の配役が発表され、渋沢栄一の母・渋沢ゑいは、和久井映見さんがキャスティングされました。

和久井映見さんは、以前、大河ドラマ「功名が辻」で、濃姫役を演じてらっしゃいました。

この時の濃姫は、おとなしい女性として描かれてはいました。

しかし、織田信長の妻でありながら、従妹の明智光秀への思いが断ち切れないという葛藤を抱えた難しい女性という役柄でした。

その和久井映見さんが、今度は渋沢栄一の母を演じます。



2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一の母・渋沢ゑいとは・渋沢ゑいとは

渋沢栄一の母・渋沢ゑいは、夫・渋沢市郎右衛門より1歳~2歳年下の1811年の生まれです。

中の家に生まれたゑいは、婿養子として渋沢市郎右衛門を迎えました。

渋沢栄一が生まれたのが1840年、ゑいが29歳のときでした。

当時としては、遅く生まれた子という印象ですが、実は渋沢栄一は渋沢家の三男でした。

長男・次男が相次いで早世し、残った三男の渋沢栄一が、中の家の嫡男という位置づけになったのです。

長男・次男を早くに亡くしてしまったせいか、三男の栄一はそれはそれは愛情深く大切に育てられたようです。

冬になると、元気に遊ぶ栄一を、寒かろうと羽織をもって追いかける姿に、「羽織のおゑい」というあだ名までありました。

渋沢ゑいは、とても人情深い人物だったらしく、「人に喜んでもらうのが一番うれしい」という人柄だったようです。

また幼い栄一にも、「みんながうれしいと思うことが大切」だということを、折に触れ教え続けた母でした。

息子栄一が討幕に傾き始めたり、一ツ橋家の家臣になったと思ったらフランスに行ってしまったり、家を守りつつも気が気ではない長い時間を過ごしたことでしょう。

渋沢栄一が帰国し、大蔵省に入省したあと、1874年に63歳で亡くなっています。

戒名は「梅光院盛冬妙室大姉」です。



渋沢ゑいの生家(中の家)

渋沢ゑいの生家でもあり、渋沢栄一の生家でもある中の家は、今も埼玉県深谷市に保存されています。

今の建物の現在の母屋は、明治28年に上棟されたものです。

奥の十畳の部屋は、渋沢栄一が帰省するたびに使っていた部屋で、特に念入りに作らせたということです。

副屋は、明治44年に上棟されました。

ここで商売がされていたらしく、以前は「お店」と呼ばれていた建物だそうです。

そのほかに、土蔵が4つもあり、当時の繁栄ぶりが伺えます。

近くには、渋沢栄一記念館もあります。

コロナ禍の中ですから、2日前の予約が必要ですが、母・渋沢ゑいの資料も見ることができるかもしれません。

内助の功に徹した当時の女性ですから、ゑいの詳細はあまり分かりませんでした。

ただ、優しくおおらかで、人情に厚い人だったことが伝わっています。



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