2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」での濃姫(帰蝶)役は、川口春奈さんです。
美しいだけではなく、意思の強そうな姫になりそうな予感ですね。
信長の正室だったかもしれない濃姫は、美濃から輿入れした姫という事で濃姫と呼ばれたいたようです。
しかしこの呼び名は江戸時代以降の文献で定着しただけで、本当はどう呼ばれていたのでしょうか?
では織田信長の妻、帰蝶について紹介します♪
帰蝶は濃姫で安土殿?
濃姫については、後信長と婚姻したこと以外、子供時代も含めてほとんど史実は残っていません。
この信長との結婚が、帰蝶15歳のときとあります。
当時、女の子は10歳を過ぎれば当たり前のように政略結婚の道具として送り出されました。
それを考えると、土岐頼純と結婚したという、今回の大河ドラマ「麒麟がくる」の設定は、決して不自然ではありません。
なぜなら、婚家で初潮を迎え、妻として役割を果たせるようになり、男子を出産でもすれば、斉藤道三の下克上、国盗りは完成するからです。
光秀のページでも書きましたが、この時代に読み書きができるというのは現代ではフランス語が話せる事に等しく、必要とされる教養ではなかったのです。
ですから、人の出自などについての史実が無いのは当然と言えば当然ともいえます。
また当時は位の高い女性が自分の名前で呼ばれることは非常に稀で、住んでいた城の名前や出自を元にした通称で呼ばれることが殆どでした。
マムシといわれた斉藤道三の娘で、母は明智光秀の母親とは姉妹だったいわれていることから、光秀とはいとこの関係になります。
帰蝶という名が濃姫の本名(または幼名)ではないかといわれていますが、胡蝶という名だという専門家もいます。
信長の正室だったかもしれないと書きましたが、実は濃姫については詳細が全く分かっていません。
道三の娘であり、信長の父、信秀と道三が和議を結んだ後、政略結婚として信長に嫁いだのまでは分かっています。
しかし、子供がいたいの? いつ亡くなったのか? どういう人だったのか?本当に正室だったのか?
それらを伝える史実が全くありません。
江口洋介さんが信長を演じたときは、濃姫も本能寺に一緒に滞在しており、光秀に攻め込まれた時に討ち死にしていたという設定でした。
同じような設定で、ドラマや映画で演じられる事が多いようです。
今まで濃姫(帰蝶)を演じた女優さんの一部を紹介します。
・柴崎コウ
・内田有紀
・小雪
・観月ありさ
・中谷美紀
前述した江口洋介さんのときは、内田有紀さんでした。
いずれにしろ、美しく意思が強く知性が高い女性像のようです。
★織田信秀とは 2020年NHK大河「麒麟が来る」の記事はこちらへ☟☟
帰蝶がいつ亡くなったのかも諸説あり特定ができていません。
早くに病死した、離縁された、長生きして信長の菩提を弔っていたなど諸説あります。
濃姫が安土殿だった場合、天寿を全うした可能性があります。
徳川の時代、織田家は小さな一大名という位置づけでした。
徳川家の大名として織田家を存続させた織田信長の二男・織田信雄(おだのぶかつ)の知行目録である「織田信雄分限帳」に「安土殿」という名があり、この「安土殿」こそが濃姫だとされています。
織田の居城だった安土という名前が付くことから、織田信長の正室だった可能性が高いのです。
帰蝶(濃姫)が正室であれば、この安土殿は帰蝶を指すと考えても良いのではという解釈が成り立ちます。
また安土・総見寺に所蔵されている織田家過去帳「泰巌相公縁会名簿」に「養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七年壬子七月九日 信長公御台」と記載されていて「御台」となっている事から濃姫だと推測されています。
1535年生まれの帰蝶ですから、慶長17年没(1612年)ということは、77歳で亡くなっています。
信長が早くに帰蝶と離縁していたり、若くして帰蝶が病死していたりして、新しい正室を迎えていたとなると全く違う話になってしまいます。
一方、本能寺の変で信長とともに戦い、討ち死にしたという説もあります。
映画やドラマの脚本として、そう描かれてきたという事ばかりではありません。
岐阜県岐阜市不動町には「濃姫遺髪塚」があります。
その説明板に、本能寺の変の折、織田信長公と共に討死し家臣の1人が遺髪を持ってこの地へ逃れ来て埋葬したものと記載されています。
謎だらけの帰蝶ですが、今回の「麒麟が来る」では、どんな風に描かれるのでしょうか。
とっても楽しみです♪
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