NHK大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公、渋沢栄一たちはやっとパリ万博にこぎつけました。
欧米列強の最先端を競う展示物に混ざって、日本からの展示物も大盛況だったそうです。
渋沢栄一自身が『航西日記』に書き残した内容にそって、日本が初めて参加したパリ万博の様子を紹介しましょう。
パリ万博の概要
ニュース記事のようですが、まずは開催場所などの概要を紹介します。
パリ万博が開催されたのは、セーヌ川河畔にある現在のエッフェル塔広場。
当時はシャン・ド・マルス広場といいました。
開催された期間は1867年4月1日から1867年11月3日までの、およそ7か月間です。
世界42か国が参加し1500万人が来場したと記録されています。
敷地面積40ヘクタール、東京ドームの約8.5倍の広さに巨大な楕円形の会場を作り、それぞれの国が割り当てられた展示ブースは放射線上になっていました。
ただし会場の半分は開催国のフランスが占め、イギリス・プロイセン・ベルギーなどの出店がそれに続いたそうです。
東洋からの参加国は、日本・清・タイ(当時はシャム)の三か国でしたが、その中で一番出展が多かったのが日本でした。
欧米列強の展示品と渋沢栄一の日記
『欧米各国はそれぞれが技術の粋を競い合っている。
蒸気機関のような差先端技術の巧みさは見て分かるが、その原理を推理することができず残念である。』
という感想を日記に残しています。
確かに文明開化前の日本人にとって、こうした技術は理解できる範囲を超えたものだったでしょう。
また各国の通貨についても記録を残しています。
『欧州などの国の通貨は丸いものが多く、日本のものだけが方形をしている。
また他国の計量用の容器は丸いものが多いが、日本はやはり方形の升である』
円形の中の方形が目だっていただろうと想像できますね。
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日本の展示品
この時出展した浮世絵がルノワールやモネ、ゴッホなど名だたる画家たちに大きな影響を与えたことを聞いたことがあります。
浮世絵の作者は富嶽百景の葛飾北斎や美人画で人気の喜多川歌麿らでした。
鮮やかな色彩・大胆な構図や遠近法などが画家たちの作風に変革をもたらしたということです。
これ以外にも伊万里焼の白磁に描かれた美しい色彩などが、マイセンなど西洋の陶磁器に影響を与えたことも突出するところです。
日本の曲芸師などもパフォーマンスを披露し、大盛況だったといいます。
見たこともない小さな東洋人が身軽にこなす綱渡りや独特の水芸などの手品・駒回しなどを一目見たいと押し寄せる人の波は途切れることがなかったそうです。
パリ万博に出店した商人・清水卯三郎は、パリ万博の会場の中に日本風の茶屋を造り、3人の若い芸者とともに日本酒や日本茶でもてなしました。
数寄屋作りの日本家屋の珍しさと初めてみる芸者に、連日長蛇の列だったそうです。
この清水卯三郎なる人物はただの商人ではありません。
しかし筆者は現在渋沢栄一の生涯を紹介している関係で、清水卯三郎について細かく触れることができないのが残念です。
2021年NHK大河ドラマ「晴天を衝け」で清水卯三郎が登場人物として発表されるようなことがれば、ぜひ知っていただきたい人物です。
大盛況のパリ万博の一方で、とんでもない自体が起きていたのです。
フランスでも暗躍する薩摩藩に翻弄されて、渋沢栄一たち幕府はどうなるのでしょうか。
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