明智光秀の妻熙子(ひろこ)とは 内助の功と煕子の足跡を追う! 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」

2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」では、木村文乃さんが妻・熙子役に抜擢されました。

ドラマはこの記事を書いている1月25日現在、まだ1回目の放送を終えたばかりで、光秀の結婚はもう少し先の話になるでしょう。

主役・明智光秀の妻ですから、きっと登場回数も多くなるはず!

とっても楽しみです。

さて、明知光秀と妻熙子は、戦国時代には珍しいほどの仲睦まじい夫婦だったと伝わっています。

幾つかエピソードも残っていますので紹介しましょう♪



妻木煕子について

明智光秀の妻熙子は、光秀の正室であり、妻木範熙の娘であったといわれています。

実はこの父親説には、二人の父親候補がいます。

有力なのは妻木範熙ですが、もう一人、妻木広忠という説もあります。

また、この二人は同一人物ではないかという説までありますから、苦笑いするしかありません。

生年についても、1530年と1534年説があります。

熙子という名が知られるようになる前は、「お牧の方」とか「伏屋姫」という通り名で呼ばれていたそうです。

ただ最近では、お牧の方は母であると認識されています。

当時は、苗字+名前とう形で認識されたのは男性のみでした。

それなりに高貴な出自の女性は、〇〇の方・〇〇姫・〇〇殿などといった呼称で呼ばれるのが一般的です。

明智光秀の妻・熙子も、後世になって、父妻木範熙の熙の字をとって熙子といわれるようになったようです。

また女性が名前で認識されるようになったのは、なんと娘ガラシャの影響らしいです。

ガラシャという洗礼名が与えた印象が強く、そこから次第に女性たちも名前で呼ばれるようになったようです。

もちろん子供時代の名前はあり、両親や親族からは名前で呼ばれていたでしょう。

しかし社会的にはそれが通用しなかったとは、驚きではありますが、慣例ですから仕方のないことですね。

子供の人数については諸説ありますが、一般的に知られているのは3男4女という子宝に恵まれたという説です。

長女が明智光春(秀満)の室、次女が明智光忠の室、三女・珠(細川ガラシャ)が細川忠興の室、四女が織田信澄の室となり、嫡男の十兵衛光慶(千代寿丸)、次男の十次郎光泰、三男に乙寿丸がいたとされています。

この中で一番有名なのが細川ガラシャですが、美しいといわれた彼女の美貌は母親譲りだっとのことです。

明智光秀と熙子のエピソード

熙子が光秀と結婚する前のことです。

既に二人の結婚が決まっていましたが、それを直前にして熙子が疱瘡にかかってしまいました。

顔にアバタが残ってしまった娘を嫁に出すことを遠慮した父・妻木範熙から、代わりに熙子の妹ではどうかと打診されました。

この時光秀は「人の要望は変わるが心の美しさは変わらない」といってこれを断り、熙子と結婚したといわれています。

斎藤道三と息子・斎藤義龍が争い、道三側についた明智光秀は、戦いに敗れ逃げ落ちることとになります。

その時、明知光秀の妻・煕子は身重だったとあり、山道などは光秀が背負って逃げたとあります。

また明智城を追われ浪人生活を余儀なくされた中、光秀主宰の連歌会を催すことになりました。

主催ともなると酒やごちそうで客をもてなす必要がありますが、光秀一家にはそんなお金はありません。

そこで熙子は自慢の黒髪を売り、夫光秀に恥をかかせる事無く連歌会を執り行いました。

髪のない熙子を見た光秀は驚き、これ以上苦労はさせないと出世を誓ったといわれています。

松尾芭蕉は、「月さびよ 明智が妻の 咄(はなし)せん」という句を謳っています。

松尾芭蕉が奥の細道の旅を終え伊勢神宮参拝をした時、又幻という人の家に泊めてもらったそうです。

貧しいにも関わらず、精いっぱいのもてなしをしてくれた又幻夫婦に感激し詠んだ句とされています。

『寂しい月明りのもとですが、明智光秀の妻の昔話をしてあげましょう。(あなたのその心掛けは、必ず報いられる日が来ますよ)』という意味です。

芭蕉が句にするくらい、熙子の良妻エピソードは知られていたということになりますね。

この句は、西教寺境内に現存しています。

熙子の墓

明智熙子の死去についても諸説あります。

現在認知されているのは、天正4(1576)年に病死したというものです。

熙子が病に倒れる前、光秀が長い間病床に伏せており、その看病疲れだともいわれています。

献身的な妻の支えがあり、そんな妻を労わる事を決して忘れなかった光秀の悲しみは相当だったろうと思います。

戒名は福月真祐大姉。

滋賀県大津市の明智氏、妻木氏の菩提寺である西教寺にお墓があります。

いつの世も出世する男には、それなりの妻がいたということでしょうか。

中孝礼節を重んじる徳川の世では、明智光秀は裏切り者・逆臣といったイメージが大きくなりました。

それが軍紀物などに書かれたり、芝居で上演されることで、定説化してしまったのです。

しかし近年になって、明智光秀はもちろん、その他の武将たちについても再評価が進んでます。

2020年、始まったばかりの麒麟がくるでは、明智光秀はもちろんのこと、光秀の妻・煕子がどんな風に描かれるのかも楽しみなところです。



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