渋沢栄一の養子・渋沢平九郎の自害

2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一に、養子がいたことを覚えていますか?

海外に渡航する際は、後継ぎを決めておかなければいけないという決まりがあった時代だったので、男の子のいなかった渋沢栄一は、師である尾高の末の弟・平九郎を、みなし養子として届け出ていたのです。

その平九郎が、自害しました。

背も高く、容姿端麗、文武に秀でた若者の死に、何もしてやれなかったことを、渋沢栄一は嘆き悲しんだと伝わっています。

渋沢平九郎が自害をした経緯を、紹介しましょう。



飯能戦争

前回、彰義隊を編成した喜作が、暴徒化していく彰義隊を見捨て、離脱した話をしました。

彰義隊と離れた喜作たちは、「振武軍(しんぶぐん)」を、新たに結成しました。

隊長は喜作。

参謀長は尾高。

参謀に平九郎という布陣でした。

彰義隊が上野で官軍と衝突するなか、それを横っ腹から風穴を開けようとした振武軍でしたが、彰義隊があっけなく負けたのを見て、退却しました。

彼らが退却したのが、飯能近辺です。

このあたりは、わずか4年前、渋沢栄一と一緒に、一橋慶喜の命で兵士募集に歩いた場所です。

こうして渋沢栄一のストーリーを描いている筆者自身も、歴史の流れがあまりに早いことに、ただ驚くばかりです。

飯能という土地は、周りを奥多摩の山々に囲まれた土地で、戦場としての地の利がある場所です。

彰義隊の敗戦兵らも、振武軍に合流したきたため、500人を超える人数になっていました。

しかし2000人に近い兵隊と、最新式の武器をもつ官軍に対し、地の利には関係なく、勝敗は始めから見えていたようなものです。

負け戦で右往左往する中、渋沢平九郎は味方ともはぐれ、一人になってしまいました。

一人で逃げている最中、一軒の茶屋を見つけ、自分を落ち着かせようお茶を所望するため店に入りました。

しかし茶屋を営む老婆に、あっけなく正体を見破られてしまいます。

老婆に悪気があったわけではなく、平九郎を逃がしてやろうとこういいました。

「腰のものを、ここの床下に隠して、秩父の方へ逃げなさい」

平九郎は、言われたとおり刀は預けましたが、秩父には向かわず、自分の故郷・黒山村への道を進みました。

案の定、官軍の敗走兵狩りに見つかります。

はじめは神主の息子だといいましたが、だますことなど出来るはずもなく・・・

持っていた小刀で目の前の兵を切り、驚いている他方の兵にも切りつけました。

しかし後ろにいた敵兵に右肩を切られ、鉄砲の弾が太ももに食い込み、大量の出血となってしまいます。

それでも敵兵と戦おうとした平九郎でしたが、数十人の敵兵が向かってくるのをみて、自害しました。

将来を嘱望された22歳の若者が、ここで世を去ったのです。

この平九郎の死が尾高たちに伝わったのは、ずいぶん後のことだったそうです。

しかもそれを伝えるきっかけとなったのが、平九郎に切られた2人の兵士だったというから驚きです。

平九郎に切られた傷を医者に診てもらった際、二人は敵ながらあっぱれな若武者の話をしたそうです。

それに感動した医師が、たまたま絵心があった人だったため、似顔絵を描きました。

しばらく後、これもたまたま、平九郎を知る人物が、この似顔絵をみる機会があり、「これぞ平九郎だ」と尾高に伝えたことで、やっと平九郎の消息が判明したものです。



喜作・尾高の敗走の結果は

喜作や尾高たちは、生き延びることができました。

彼らが目指したのは、一橋領である横手村です。

ここにも、「脱走者は猟銃で討ち止めよ」という御触れがでており、官軍400人余りが見回りをしていました。

敗走中に、喜作たちは村役人に出会い、道案内を頼んだところ、村役人・大川戸延二郎は、すべてを承知したうえで、一橋家の恩顧に報いようと覚悟を決め、喜作たちをかくまいます。

酒や料理でもてなし、新しい着物を仕立て、一族総出で歓迎してくれたのです。

その後も井上村の名主・井上範三らの機転などに助けられ、無事上州に身を隠すことができたのです。



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