2020年NHK大河ドラマ「麒麟くる」で、安藤政信演じる柴田勝家(権六)が、大河史上初、あるいは日本映画史上初のイケメンと言われているのを知っていますか。
元々は、織田信長の弟・信勝に仕えていましたが、信長が家督を相続したころ、信長に寝返っています。
また信長の妹・お市の方が最後に嫁いだ武将ということでも知られていますね。
決して見栄えのいい男ではなかったけれど、その男気と優しさ、純朴さにお市の方が惹かれたというのはほんとうでしょうか?
信勝にとっては裏切り者ですが、なぜか愛されキャラの柴田勝家。
よく言えば、人を見る目があったということでしょうか?
そんな柴田勝家のの生涯を紹介しましょう。
信長の父・信秀の家臣だった権六
柴田勝家の出自も、はっきりしたことは分かっていません。
年齢も、信長より一回り以上年上ということはないだろうという程度です。
若いころから、信長の父・信秀に仕え、領地を拝領しているくらいですから、それなりの家柄の出なのか、若い時から能力に長けていたのか、どちらかだと思われます。
主君・織田信秀が死去後、うつけとして嫌われていた信長には目もくれず、品行方正な次男・信勝を後継者にしようと暗躍していたこともありました。
柴田勝家は、手始めに信長が築いた名塚城を、1700人ほどの兵で攻め、応戦する信長は700ほどだったと伝わっています。
しかし、ここで信長の圧勝!
結局、土田御前や信勝ともども清州城に退き、信長に忠誠を誓うことで生き延びたといういきさつがあります。
それでも懲りずに信長暗殺を企てる信勝に辟易し、とうとう信長に寝返ることに決めたのです。
そして戦において、目を見張るような働きを続けたのです。
その働きをうたった歌には、「勇猛で突撃に掛かる強い柴田」と読まれたほどです。
数々の戦で危険な先鋒を買って出ており、しかも武功を次々にあげています。
豊臣秀吉との確執とお市の方との結婚
本能寺の変で織田信長が死んだことを知ったのは、豊臣秀吉が明智光秀を山崎の戦いで打ち取った後でした。
信長が亡くなったあとの後継者争いも秀吉に大敗し、それまで織田家筆頭の地位にあった柴田勝家は、秀吉の下に甘んじたのです。
しかし柴田の戦闘能力に脅威を抱いていた秀吉は、勝家がお市の方が10歳前後のころに見染、高嶺の花とあきらめていた女性でした。
二人が結婚したのは、柴田勝家60歳、お市の方35歳という時期でした。
叶わないと思っていた夢がかなった柴田勝家は有頂天に!
しかし、そこに油断が生じ、隙が生まれてしまったのです。
1583年、賤ケ岳の戦いで、味方だと思っていた前田利家に裏切らて、総崩れで退却しました。
この戦いで豊臣秀吉は、織田信長の後継者という地位を確立し、柴田勝家はお市の方と自害という最後を迎えることになったのです。
幸せな結婚はわずか7か月という短い時間でした。
しかも、はた目から見たら、豊臣秀吉の策略にはまったとも見えてしまいます。
柴田勝家・お市の方の辞世の句
柴田勝家の辞世の句は、「夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」。
訳すと、夏のようにはかない自分の人生を、ほととぎすよ、後世まで伝えておくれという内容になります。
後世の名を遺すような武将になりたかったという意図がうかがえます。
しかし、こうして現代にもその名は轟、戦国武将の一翼をになっているのです。
お市の方の辞世の句は、「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな」
ただでさえ短い夏の夜にホトトギスの声が、別れを悲しんでいるようだと、自分たちの短い時間を惜しんだのでしょうか。
戦国一の美女といわれたお市の方と、戦国時代の幕引きのように戦い散っていった柴田勝家。
柴田勝家は、なんとも象徴的な人物だと思います。
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