「吉乃」って誰!? 信長が帰蝶に託した奇妙丸の母とは!?

『決戦!桶狭間』の中で、信長が帰蝶に会わせたい者がいるといったのが、奇妙丸でした。

奇妙丸は吉乃に産ませた信長の子であると、突然言われた帰蝶の顔が、なんとも印象的でした。

その帰蝶の顔を見ながら、同情もし、怒りを感じた人も多かったのではないでしょうか?

同時に、吉乃って、だれやねん!と思った人も少なくなったことと思います。

そこで、信長の側室・吉乃について調べてみました。



リアル信長が最も愛した女性といわれる「吉乃」とは

吉乃は、生駒宗家の長女です。

生駒宗家は織田家の家臣で、元々は灰や油の商いと馬借で冨を築いた豪商でした。

吉乃は最初、土田弥平次に嫁ぎましたが、戦死したため実家に戻っていました。

信長が吉乃に惚れて、足蹴く生駒家に通ったといわれています。

また吉乃という名は、『前野家文書』中の軍記物『武功夜話』にその名で記されていたため、それが後の世に知られたものですが、実際の名前は不明です。

信長より4歳年上で、人目を惹く美しい女性だったそうです。

また、信長に見初めれたのは帰蝶との婚姻よりも早い時期だともいわれており、帰蝶との政略結婚がなければ、正室並みとして処されていた可能性が否定できません。

吉乃は、弘治3年(1557年)に信忠、永禄元年(1558年)に信雄、永禄2年(1559年)に徳姫を産んだと伝わっています。

しかし長女・徳姫出産後、産後の肥立ちが悪く、重篤な状態に陥ってしまいました。

完成していた小牧山城の御台御殿に移るよう、信長が伝えたころには、歩くこともできない状態だったようです。

それを知った信長は、正室でなければ使えない輿を生駒家に送り、それに乗って小牧山城に入りました。

そして、嫡男・信忠の生母として家臣たちにも披露され、重臣からの挨拶を受けたとなっています。

小牧山城に入った1年後、吉乃は、亡くなったと伝わっています。

しかし、実際の時間的な合致を得られる資料がありません。

のちに吉乃と呼ばれるようになった側室がいたことは確かですが、帰蝶が知っていたのかどうかは定かではありません。

小牧山城の主は小牧殿と記載されていますが、それは吉乃ではなく、正室・濃姫のことだと考えられます。

もしかしたら、2020年NHK大河ドラマ「麒麟くる」で描かれている城は、実際は小牧山城なのかもしれませんね。

小牧山城に吉乃が移ったあとは、信長は頻繁に見舞いに訪れ、亡くなった際は人目をはばからず涙を流したといわれています。

大河ドラマで川口春奈さんが演じる、軍師・帰蝶に魅せられている筆者は、信長の最愛の人は帰蝶であってほしいと願ってしまいます。

吉乃以外の信長の側室

当時の身分の高い男性は、世継ぎを設けることが最優先という理由で、側室を持つのが当然という風潮でした。

帰蝶は子供を産んでいないので、当然ですが信長にも何人かの側室がいます。

中でも有名なのが、豊臣秀吉が信長の跡継ぎとして担ぎ上げた「三の丸」の母・慈徳院でしょうか。

元々は奇妙丸の乳母だった女性を、信長が見染て側室にしたそうです。

生没は不詳。織田家の家臣・滝川 一益の親族の娘と伝わっています。

また、土方氏という名の側室がいたことが分かっています。

彼女も生没は不詳。信長の九男・信貞を産んでいます。

夫戦死後、信長の側室となった女性がいます。

興雲院といい、織田信高・織田信吉・於振を産んでいます。

本能寺の変で信長が死んだあとは、信長の位牌を安置し、菩提を弔うという行為を側室の身でありながら行っており、織田家中における地位の高さが推測できます。

その後は、羽柴秀吉の庇護の元におかれ、化粧料を受け取りながら、菩提を弔う尼僧として暮らしていたようです。

養観院という女性は、信長の四男・於次を産んでいます。

この於次は、羽柴秀吉の養子になり、秀勝と名乗っていましたが、病弱であったこともあり、早くに亡くなっています。

織田信長の馬廻、一時期は赤母衣衆に抜擢された原田直正の妹・原田直子も、信長の側室でした。

直子は織田信正を産んではいますが、信長の子として認められてはいなかったという資料があります。

また、この織田信正は、京都所司代・村井貞勝の養子となった村井 重勝と同一人物だとされています。



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