2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門とは!?

2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」のキャスティングが発表され、渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門演じるのは、小林薫さんになりました。

小林薫さんは、最近では高視聴率だった「女城主直虎」でも、重要な役どころを演じてらっしゃいました。

小林薫さんが演じた、南渓和尚がいなければ、直虎も井伊家も存続したかどうかさえ分かりません。

そして直虎は、南渓和尚たちが、井伊家の始まりと伝えた井戸の傍らで、静かに息を引き取ったのです。

ということで、NHK大河ドラマとも縁が深い小林薫さんが演じる、渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門とは、どんな人だったのでしょうか?



渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門とは

渋沢栄一が幼いころ、血洗島村には17軒の渋沢家がありました。

それを区別するために、西の家や東の家などと、位置によって区別をし呼び合っていたのです。

血洗島村の中央にあったのが、渋沢栄一が生まれた中の家(なかんち)で、渋沢家の本家でもありました。

渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門は、実は東の家(ひがしんち)の生まれです。

父・渋沢市郎右衛門は、そのころ傾きかけていた中の家の再建を託されて、婿養子として中の家に入ったのです。

先見の明と商才に恵まれた渋沢市郎右衛門は、武州藍の商売に注力しました。

藍は色鮮やかな色彩だけではなく、殺菌力も持つことが知られており、質の良いものは高値で取引されていました。

藍の鑑定に優れた目を持っていた市郎右衛門は、質の良い藍を大量に仕入れ、熟成と発酵をさせたのち、藍玉と藍染業者に卸すことで、莫大な利益を得るようになったのです。

渋沢栄一が、こうした商才を父から受け継いだのは言うまでもありません。

しかし、次第に討幕へと傾く渋沢栄一に対し、商人の息子であること、中の家の跡継ぎであることを言い聞かせ、何度も諭したと伝わっています。

渋沢市郎右衛門自身は、武士に劣らぬほどの学問を積み、剣術の腕も相当だったということです。

それでも商家であるがゆえに理不尽に耐え、家を守っていたのです。

血洗島村は、明治以降八基村と改められ、1892年には村議会議員となり、1899年に名誉村長に推薦されてもいます。

1905年には、埼玉県の県議会議員に当選し、満期終了後は信用組合を組織し運営するなど、さすが渋沢栄一の父ともいえる活躍を見せました。

渋沢栄一の勘当願いを許した父・渋沢市郎右衛門

横浜居留地の焼き討ちを計画した渋沢栄一は、家に迷惑をかけてしまうことを恐れて、父に勘当願いを伝えました。

国を良くしたいと、若い情熱のまま理想を語る息子に、父は最初は反対していました。

「お前の考えは、自分の分際をわきまえず非望を企てることだ。もともと農民なのだから、分不相応の望みを起こすべきではない。政治に対し農民ごときが何をやろうと、国が変わることはない」

もっともな意見だとは思いますが、栄一や同席した尾高や喜作の熱情を聞き、朝まで討論した結果、とうとう父は折れたのです。

これに対し栄一は、「勝手を許していただき、ありがとうございます。国事に身をささげると決意した以上、家の相続はできません。速やかに勘当していただき、養子をお定めください」

ここでも、父。渋沢市郎右衛門の親としての深い愛情が際立ちます。

「突然お前を勘当すると、逆に怪しまれることになるだろう。ともかく家を出るが良い。これからは、正しい道理を踏み違えずに、誠意をもって事にあたりなさい。思いやりの心を備えた志士と言われるように精進しなさい。それができれば、お前がどのようになろうとも、儂は満足だ」

心の広い、大きな人だっただろうことが伺えます。

小林薫さんに最適な役柄だとも感じます。

2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」が、楽しみですね。



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