2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」では、演歌歌手の石川さゆりさんがお牧の方を演じます。
「私はデビューしてから“石川さゆり”という名前でしか呼ばれてこなかったので、収録の時“牧さん”と役名で呼ばれるのがとても新鮮です。歌の世界で培ってきた経験が大河ドラマでもお役に立てれば良いなと思います」(石川さゆり)#麒麟がくる pic.twitter.com/CRJqBoiNYb
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) January 16, 2020
光秀の父である夫を早くに亡くし、光秀に「武士のあるべき姿」を厳しく教えながらも、愛情あふれる優しい母という設定です。
しかし実際にはお牧の方の史実は全くありません。
当時の結婚は政略的なものが殆どで、人質的な意味合いだったり偵察という密命を帯びていたり、一族の結束を強めるためや同盟のためという理由で婚姻が成り立っていました。
お牧の方は若狭武田氏の出身とされていますが生年などの詳細も不明です。
しかし光秀の母説はもう一つあります。
お牧の方に唯一残るエピソードの真実と、もう一つの母親説を紹介しましょう♪
「本能寺の変は母親の敵討ちだった」は後世に作られた芝居のネタ
お牧の方といえば、たった一つのエピソードが、八上城攻めの際に人質として差し出され磔で殺されたというものです。
難攻不落の八上城に兵糧攻めを仕掛けていた明智光秀は、敵が弱ってきた頃合いを見計らってこう持ちかけたそうです。
「織田に下るのであれば本領と地位は安堵しよう。その証として母を差し出そう」
ところが安土城に出向いた波多野氏を、信長は磔にして殺してしまいます。
それを聞いた八上城は、人質の光秀の母を同じように磔にして殺したというものです。
八上城跡には「磔の松」が残っているそうですが・・・
この物語は江戸時代になってから遠山信春が書いた軍記物、『総見記(そうけんき)』という読みものの中で描かれた創作の域を出ません。
実際はというと、時間こそ掛かってはいますが兵糧攻めが効果をあげ場内は餓死寸前だったそうです。
そんな戦況の最中に人質を渡す必要はありません。
光秀は相手が降伏するのを待てば良かっただけです。
このストーリーは、本能寺の変と母が磔で殺された命日が同じだからということを根拠にしています。
しかし波多野氏が安土城に護送されたのは6月4日であると、信長公記では記載されています。
同じく信長公記には、光秀の母について書かれたものはありませんでした。
もし母親が人質として八上城に渡され殺されていたとしたら、記述があって当然だということです。
なにしろこの時の光秀は、織田の中でも最も信頼の厚い武将だったのですから。
戦国時代の悲惨さをより色濃く表現するために作られた創作物語として現代では認知されています。
もう一つの母親説とは
「明智氏一族宮城家相伝系図書」には光秀の実母は明智光綱の妹と記載されています。
光綱が病弱のため子供ができず、妹が自分の子供を光綱の養子に出したということです。
それが真実であれば、お牧の方は義理の母というポジションになります。
父・光綱の死因は不明ですが、病弱であったのが真実であれば早逝したのも頷けます。
★帰蝶はどんな女性だった? 「麒麟が来る」2020年NHK大河ドラマの記事はこちらへ☟☟
於牧の方の墓
お牧の方の墓は、岐阜県恵那市明智町にある明智城の東側の道路から入ります。
車では難しいくらいの細い道という情報ですが、来年の大河ドラマを控えて整備されているかもしれません。
坂を下ると案内の標識があります。
明智駅からは徒歩で20分程度。
緑豊かな場所で鳥のさえずりや川のせせらぎなどを聞きながらお参りすることができます。
お牧の方が実際はどんな女性だったのかを想像する手がかりさえありません。
しかし当時の武家の女性は、女性でありながら武将さながらの人生を送った人達も多くいます。
光秀の娘ガラシャも、まさにそうした女性の一人ではないでしょうか。
たおやかさを見せつつしなやかな、決して折れない強さを持った女性だったのではないかと筆者は思います。
2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」では、どんなお牧の方を石川さんが見せてくれるのでしょうか。
6月にはクランクインするはずの「麒麟が来る」が、益々楽しみになってきました。
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