2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」でもクライマックスになるだろうと予想される本能寺の変。
21世紀になっても未だに解明されない謎が3つあります。
その謎を麒麟が来るではどのように解釈し描いてくれるのかも楽しみの一つです。
3つの謎とは・・・・
〇光秀が信長を裏切ったのはなぜ
〇信長が少人数で本能寺に入った理由
〇信長の遺体が現代まで見つかっていない
専門家の間でも諸説あり、実際は当事者しか分からない事です。
しかし歴史好きとしては妄想が膨らむ謎でもあります。
筆者の妄想に、少しお付き合い願えればうれしいです♪
光秀が信長を裏切ったのはなぜ
裏切った理由が一つとは思えません。
しかも裏切ったという言葉自体、不適切ではないかと考えています。
世は戦国時代、下剋上が当然であり、主であろうとチャンスがあれば討たれて当然です。
しかし光秀にはもっと「義」のある理由があったのではないでしょうか。
まず信長の言動に翻弄され、いつ殺されるか分からない恐怖で押さえつけられた圧政からの解放。
そして本能寺の変の直前に言い渡された国替えに対する不満が考えられます。
圧政に苦しんでいたのは光秀だけではありません。
信長を討取れば自分の味方になる武将も多いはずだと、光秀が思ったとしても不思議はありません。
また光秀に言い渡された国替えは、西の毛利を討ちそこを領土としろというものです。
苦労して丹波を平定し、治水工事なども熱心に行い、領民からも慕われて、やっと落ち着いた家を追われ、一族を引き連れて勝つことを前提とした国替え。
若いころ明智城を追われ苦労の末に今の地位を手にいれた光秀には、デジャブのような状況だったでしょう。
もう若くはない光秀にとって、それを快諾するのは相当なリスクと感じたのではないでしょうか。
☆『本能寺の変から死ぬまでの光秀』の記事はこちらへ ☟☟
信長が少人数で本能寺に入った理由
では光秀に討たれた信長ですが、なぜ馬回りもつけずに本能寺に宿泊したのでしょうか。
それには、「家康を殺そうとしていたから」という説があります。
今川や武田も小さくなったり滅亡したりしています。
したがって東からの来襲の壁という位置づけだった徳川は必要がなくなっていました。
しかも織田軍の中では三河武士の結束と強さは群を抜いています。
こうしたことから信長は、織田家の存続を考えて家康を殺そうと画策しており、その舞台に選んだのが本能寺ではなかったかという説です。
実際本能寺の変のあった当日、お茶会と称して家康は本能寺に招待されています。
不穏な動きを察知した家康は軍隊を率いていきたいところですがそれは逆効果。
変わりに徳川四天王と呼ばれる武将たちが同行しています。
☆『本能寺の変の黒幕か!?足利義明とは』の記事はこちらへ ☟☟
信長の遺体が現代まで見つかっていない
信長の死後、葬式を執り行ったのは豊臣秀吉です。
秀吉も信長の遺体を探しましたが見つかりませんでした。
仕方なく木彫りの人型を作り、それを焼却し遺灰として埋骨されました。
未だに見つかっていない信長の遺体ですが、それほど火力が強かったのでしょうか。
骨まで焼き切るほどの熱量があったとは、到底考えられません。
当時一番大切だったのは、遺体というより首でした。
切腹した信長の首を介錯した人間がいたはずなので、首だけを誰かが持ち去り埋葬したと考えるのが無理がないのではないでしょうか。
現在のようなDNA鑑定があるわけでもないので、焼失した建物から信長の遺体を判別することはできなかったのも仕方がありません。
信長の首さえあれば、光秀の思い描いた通り武将たちは喜んで光秀の味方になったでしょう。
しかし首がなかったばかりに信長生存説がささやかれ、三日天下と揶揄される事態になってしまいました。
もしこの時信長の首があったら・・・
もしこの時本能寺の変が起こらず家康が殺されていたら・・・
どちらの場合も歴史の大きな変化点であったことは間違いありません。
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