渋沢栄一と徳川慶喜・「青天を衝け」2021年NHK大河ドラマ

一橋家の家臣になることを決意した渋沢栄一と喜作ですが、志士として初志を貫くことができず、逃げ込むような形で武士になることに鬱々としたものがありました。

2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」で描かれる渋沢栄一も、若かりし頃は相当破天荒なボンボンだったようです。

無謀な栄一たちの訴えを苦笑いしながら実現させた平岡と、慶喜の器量の大きさがここで見えるような気がします。

では勿体ぶってチラつかせるのはこの辺にして、栄一たちが武士になったくだりの詳細をご紹介しましょう♪



渋沢栄一と喜作は臣下になる前に有り得ない駄々っ子

天皇は御簾の奥にいて、お傍近くに控えるものだけが尊顔を拝し、生の声を聞くことができた時代。

武士社会は「御目見以下」という低い身分の家来は、殿様の顔を見る事はできませんでした。

なのに、まだ家臣でもなく一介の農民に過ぎない栄一と喜作は、平岡に対し「殿さまに会いたい」と願い出るのです。

もし殿様に直接会うことができないのであれば、士官の話も断るという駄々っ子のような手段にでたのです。

これには少し困った平岡ですが、二人の能力を高く評価していたため何とかしようと秘策を考えてくれたのです。

この前の晩、栄一と喜作は一橋家のために策を考えたました。

それは「この非常事態においては、身分に関わらず有能な人材を登用し、これらの人材を適した役職に就かせ幕府や朝廷の重要な任務を果たすべくその能力を最大限に生かすことが肝要」という趣旨でした。

栄一と喜作は平岡にこうも言います。

「我々は元農民であり国を憂える志士であると認識しています。ここに我ら二人が愚見を記した書があります。これをお殿さまにご覧いただき、我らを召し抱えていただけるかどうかをご判断いただきたい。」

自分たちの考えを書で伝えるだけではなく直に慶喜に会いたいという裏には、尊王攘夷の初志を曲げてまで家臣になる上は、主君となる慶喜の人となりを確認し自分たちを納得させたいという気持ちがあったのかもしれません。



農民・渋沢栄一が一橋家当主・慶喜に拝謁

書を渡した2、3日後、平岡に呼ばれてこう伝えられます。

「近々、殿様が馬で松ヶ崎に出かける。その時殿の目に留まるよう馬の前を走れ」という指示でした。

渋沢栄一は写真からも推察できるように、小太りで背が低く、走るのが苦手。

慶喜の馬の前をかけた距離は1000メートルほどですが、馬の前ですから相当ツラかったでしょうね。

想像するとつい苦笑いが出てしまいそうです。

この後、京都三条にある屋敷の小さく質素な書斎に通され、二人は直接慶喜に会うことが出来ました。

栄一と喜作は物怖じすることなく自分たちの意見を慶喜に申し述べます。

「幕府の命運も尽きたといえる今日。幕府の補佐をお殿様がされている以上、一橋家の命運も幕府と共にする
恐れがございます。またこのような時世にあっては天下を乱そうとする人がいますが、その天下を乱す人こそ後日天下を治める人となります。それゆえ天下を乱すほどの力量を持つ人物を、館に集めることが肝要と考えます。」

それをたまに頷く様子を見せながらも、特に言葉も発せず静かに聞く慶喜。

栄一と喜作は、威厳とカリスマ性を秘めた慶喜の佇まいに、内心圧倒されていたようです。

渋沢栄一と喜作は、やっと武士になりました

1864年、文久4年。栄一と喜作は一橋家の家臣になりました。

栄一の武士名は篤太夫(とくだゆう)、喜作は成一朗(せいいちろう)。

父の名代に行った岡部藩の陣屋で屈辱的な出来事に会い、「武士になる! 武士になって正しい政をする!」と思った栄一が、この日本当に武士になったのです。

農民が憂国の志士となり武士になった、栄一にとって最初の大きな転換でした。

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