2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一と友人の喜作は、始めて経験する貧しさの中で助け合いながら、武士としての一歩を踏み出します。
よちよち歩きの武士の最初の一歩を踏み出した二人の生活と仕事ぶりをご紹介しましょう♪
前回の記事はここをクリック《渋沢栄一がなぜ武士になったのか、その経緯を紹介しましょう♪》
渋沢栄一と喜作は2人で1組の布団で寝た
武士になった二人が与えられた役職は、「奥口番」というものでした。
これは当然のことながら身分が低く、諸藩の留守居役などに話を聞いて、その藩の内情や政の形勢などを察知するのが任務です。
向いているといえばそうでしょうが、給金はそれなりに安かっただろうことが推察されます。
二人は古い長屋を借りて自炊生活を始めました。
しかし困ったことがあります。
2人とも農民とはいえ裕福な家で育ちました。
炊事・洗濯・掃除など一度も経験がなかったのです。
何度も失敗を繰り返し、それでも精一杯の節約を心がけ、1組の布団に二人が丸まって寝ていました。
この節約は京都で遊び暮らしいた際に、一橋家の家臣・猪飼から借りた25両の返済のためです。
半年もしないうちにこの25両を返済し、猪飼をビックリさせました。
律義で誠実な二人は、苦しいときに快くお金を貸してくれた猪飼への恩を忘れたことはありません。
それは猪飼の子供が成人したのちも手助けしていることから、渋沢の情の深さや誠実さが伝わります。
渋沢栄一が後に喜作との共同生活を振り返って述懐した言葉が残っています。
「二人とも炊事などしたことがなかったので、失敗ばかりで大変だった。住んでいた家にはとにかくネズミが多くて・・捕まえて食ってみるとコリコリして案外旨かったよ。」
渋沢栄一の初仕事
奥口番という役職も仕事の内ですが、本当の仕事はこれからです。
平岡からの密命により、薩摩藩の動向を探るよう指示されました。
薩摩藩の築城家・折田要蔵の門下生として潜り込み、薩摩藩の動きに目を配ることが任務です。
当時最強の軍を有する島津久光は官職についていませんでした。
そして島津が狙っているのは、「禁裏御守衛総督」と「摂津防禦指揮」だという噂が流れていたのです。
禁裏御守衛総督とは御所の守備を監督指揮する役職であり、摂津防禦指揮とは大阪湾の沿岸警備隊長の意味です。
これらの役職を島津が手にすると、一橋慶喜の将軍後見職という立場が意味をなさなくなるのです。
それをどうしても阻止したい平岡からの指令を、栄一は見事にやってのけます。
頭の良さも手伝って次第に仕事をこなし、折田の信用を得ることに成功。
薩摩藩の重要な人物たちとも懇意になり、西郷隆盛の意見書の内容なども察知しました。
結果、平岡にこう報告したのです。
「薩摩藩は摂津防禦への積極的な取組を天下に知らしめようとしている」
平岡はこの知らせを聞いて即座に先手を打ちます。
一橋慶喜が自らその任を得るため朝廷に働きかけたのです。
そして「禁裏御守衛総督」と「摂津防禦指揮」の役職を朝廷から命じられました。
この役職は朝廷直属となるため将軍後見職の任は解かれましたが、この二つの役を得たことで慶喜は将軍と同等の立場になったといえます。
4月に京に戻った栄一を、平岡は労い褒めたことは言うまでもありません。
渋沢栄一の力量を見誤っていなかった自分を、平岡は誇らしくも思ったことでしょう。
続いて翌5月、渋沢栄一と喜作は関東人選御用という仕事を命じられました。
関東の地理に明るく知人も多い二人が、関東で兵士の人選と任命にあたるというものです。
しかしつい半年前までは討幕を狙っていた二人。
幕府の役人にも目をつけられていた二人です。
それが幕府側の人間として関東に戻るのは、さぞ複雑な心境だっただろうと思います。
さて二人の関東での仕事の首尾は!?・・・次回に続きます。
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