2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は、1871年、大蔵太丞(だじょう)に任命されました。
ちなみに大蔵太丞とは、今でいう事務次官になります。
そして、この時から、渋沢栄一には「避雷針」というニックネームがついたのです。
それはなぜでしょうか?
渋沢栄一のあだ名が「避雷針」のわけ
あだ名・ニックネームといって、避雷針というのは変わっていませんか!?
これは渋沢栄一の直属の上司である、井上馨がいてこそのニックネームでした。
井上馨は、渋沢栄一より5歳年上。
大蔵省の仕事は井上が支持し、実務は渋沢が仕切るという、絶妙なバランスとテンポを実現した名コンビだったそうです。
ただ、この井上馨、実は短気で怒りっぽく癇癪持ちという性格で、「雷オヤジ」といわれ恐れられていました。
ところが、渋沢栄一に対しては、その雷が落ちなかったということで、渋沢はいつしか「避雷針」と呼ばれるようになったのです。
渋沢栄一 辞表提出
明治期の様々な資料を読むと、大久保利通という人は、政界の癌だったのではないかと思えてしまいます。
大久保は大蔵省の筆頭・大蔵卿という任にありながら、国の財政には無関心。
それに業を煮やした渋沢栄一は、辞表を握りしめて井上馨邸を向かいました。
「大蔵卿やその配下の者たちは、国家財政がどうあるべきか、まったく考えもせず、分かろうともしません。自分たちがいくら良い政策を立てても、これでは焼け石に水。本来の大蔵省の役割を果たせません!無駄骨を折るだけになるのは目に見えているので、辞めさせていただきます」
ところが、雷オヤジの井上馨がこれを思いとどまらせます。
「君の言い分はよくわかる。しかし今辞められては困る。財政については、自分に考えがあるから、辞職はしばらく待ってくれないか」
実はこの後、大久保利通たちは、条約改正の件で欧米各国を1年に渡って訪問する予定がありました。
その間、大蔵省の実権を握るのは、井上馨です。
それまでの間、渋沢栄一は井上馨の配慮で、大阪造幣局に勤務。
呼び戻されて東京に戻った時には、大蔵省から大久保一派は排除され、井上が実権を握っていました。
渋沢栄一が語った「井上馨」は、こんな人
非常に多能で臨機応変。立案し構成し実行するスピードにおいて、比類ない力量を目の当たりにした。
しかし気が短く、すぐに大声で人を叱りつけることがあり、雷と恐れられていた。
自分が叱られなかったわけではないが、ほかの人ほどこっぴどくということはなく、何事も話し合いの範疇をでなかった。
だから雷の井上さんが怒り出すと、「渋沢君、頼む!」といって、仲間たちが自分を避雷針にしたのだ。
井上馨について
井上馨は清和源氏の家系の一つ、河内源氏の流れをくみ、長州藩士の子として産まれています。
清和源氏という名は、聞き覚えがあります。
2020年放映「麒麟がくる」の主人公・明智光秀も清和源氏であると伝わってましたね。
長州藩時代は、突拍子もないことを言ったり、持論を曲げず押し通すことが多かったといいますから、終生変わることはなかったのかもしれません。
明治政府では、閣僚を歴任し、その存在感を示しましたが、一方で、賄賂と利権で私腹を肥やし、散財するという行為が当時から世間において批判され、貪官汚吏(たんかんおり)の権化と市民からも批判をされるような人物でもありました。
貪官汚吏とは、不正を行い、私利私欲を貪り、私腹を肥やす役人のことを意味します。
どれもすべて本当の井上馨だったのでしょう。
次回は、井上馨が関与したとされ、渋沢栄一が巻き込まれた「尾去沢銅山事件(おさりざわどうざんじけん)」のあらましと、その後の渋沢栄一を紹介します。
コメントを残す