2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」主人公の明智光秀は、織田の家臣団の中でも異彩を放つ存在でした。
金ヶ崎城の合戦の後、光秀は持ち前の教養を武器に人脈を広げていきます。
当時は読み書きができるというのは、必須項目ではなくあくまでも教養の一つでしかなかったのです。
しかし光秀は、読み書きができるばかりか和歌にも茶道にも通じているという事から、神官で公家の吉田兼見、蓮歌師の里村紹巴、茶の湯の津田宗及らと付き合いが深まっていきました。
こうした人脈の形成とともに、文武両道を地で行く光秀は信長からの信頼も篤く急速に出世していきました。
吉田兼見とは、互いに家を行き来する間柄だったようです。
人としての明智光秀の、こんな逸話が残っています。
吉田兼見は、越後の朝倉攻めから織田軍が逃げ帰った元亀元年の6月から日記のようなものを書いており、それが現存しています。
その年の11月1日のこと。
「明智十兵衛来たり、石風呂所望により焼き了(おわ)ぬ」
石風呂とは今でいうサウナのようなものです。
どうやら光秀はこの石風呂が大好きだったらしく、度々吉田兼見に所望(おねだり)しています。
多大なストレスを感じていただろう光秀ですから、一種の癒しだったのかもしれません。
姉川の合戦と光秀
自分が約束を反故にしたことは棚の上に置いて、信長は裏切り者浅井長政を討つべく挙兵します。
その合戦の地が姉川でした。
信長・徳川軍は合わせて3万5千。浅井・朝倉軍は1万8千ほどだったといわれています。
数に物を言わせた信長は、浅井軍と対峙します。
徳川は朝倉軍と合戦に踏み切り、これを撃破します。
この4軍のうち、特に強者揃いで有名だったのが、徳川と浅井でした。
人数ではとても勝ち目がないと思われた浅井軍でしたが、徐々に織田軍を追いこんでいます。
そこへ助けに入ったのが朝倉軍に勝利した徳川軍でした。
一気に情勢を逆転し、浅井、朝倉両軍は敗走します。
織田の戦上手というストーリーが、幾度となく壊されている感じを受けるのは筆者だけでしょうか。
ここでいったん織田軍は京に戻ります。
通常であれば勝利の勢いのまま浅井、朝倉軍を一掃するのが常套です。
これをしなかったことに、光秀は疑問を持ち自分の家来に話したという事が伝えられています。
信長には違う目論見があったようです。
15代将軍足利義昭を、浅井、朝倉との合戦に引っ張り出そうとしていたのです。
この時の信長と義昭のやり取りと、かすかな表情とで、義昭と信長は近いうちに破局すると光秀が気が付いたとしても不思議ではありません。
ただこうした事に時間を費やしているうちに、浅井、朝倉両軍が息を吹き返したのは言うまでもありません。
信長の誤算と光秀
浅井、朝倉軍に信長が破れた!と勘違いし、織田軍に対し陣を張った武将がいました。
再三登場する三好三人衆です。
三好三人衆は、摂津中島の天満森に陣を張り、信長は摂津の天王寺に陣を敷きました。
これを見て、もう一人大きな勘違いをした人物が歴史に登場してきます。
石山本願寺の顕如という人物です。
顕如は天王寺に陣を敷いた信長が本能寺を攻撃するのではないかと勘違いしたのです。
そして全国の一向宗の門徒に対し、挙兵を命じました。
これが歴史に名高い一向一揆です。
顕如の勘違いがなかったら、歴史は変わっていたかもしれません。
姉川の合戦で一気に浅井、朝倉を一掃していたら歴史が変わっていたかもしれません。
こうした大切な歴史の返還点に、もちろん光秀も同席しています。
思いもかけず信長は石山本願寺を敵に回す事となり、浅井・朝倉軍と戦い、兵を伊勢などに展開し戦線を広げ過ぎていたため、武将の数が足りないという危機的状況に陥っていました。
この後、明智光秀の八面六臂の活躍が始まります。
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