2019年10月24日、訪日中だったアルメニアのサルキシャン大統領と日本の阿部首相が会談したというニュースが流れました。
このアルメニアと渋沢栄一には深い関係があるのです。
日本とアルメニアの間に正式な外交関係が成立してからまだ27年ですが、実はそれよりも前に渋沢栄一は人道支援を行っており、これが近代日本の最初の国際的な人道支援活動だったのではないかといわれています。
渋沢栄一とアルメニアの関係
1895年当時、それまで続いていたクルド人とキリスト教徒の戦いが激化し、アルメニア人大量虐殺が起きていました。
アメリカは、シベリアなどに逃げたアルメニア人らを救うため、救済委員会を起こしています。
活動の幅を広げるため派遣されたウイルト牧師が訪ねたのが、日本で最大の実業家になっていた渋沢栄一でした。
渋沢は直ぐにこう言ったそうです。
「私のところになぜもっと早く来なかった?苦しんでいるのがキリスト教徒だから、仏教徒は助けないとでも思っていたのか。
私はこうした話が来なくても彼らを手助けするつもりでいた。」
そしてその場で11,000ドルの小切手を渡しました。
これが1922年の出来事です。
このころの1ドルが100円前後と言われますが、この100円は現在の金額に換算すると100,000円。
11,000ドルを現在の金額に換算すると・・・11億円!?
しかも各界の著名人などに自ら連絡し、「アルメニア人救済日本委員会」を設立。
そこで集まった多額の募金が、アルメニア人の命と生活を守ったのです。
アルメニアってどこ?
渋沢栄一がアルメニア人を救ったのは分かったけど、アルメニアってどこ?
そう思っている人も少ないないしょう。
アルメニアはコーカサス地方といわれるとカスピ海と黒海に挟まれた地域にある国の一つです。
トルコ・イラン・アゼルバイジャン・グルジアに国境を接する内陸国でもあります。
国土は日本の1/13。人口300万人。
国土の90%が1000メートルから3000メートルの高地という山岳国です。
今はこんな小さな国ですが、その歴史の中では巨大国家だった時期もありました。
しかし先に紹介した大量虐殺などの苦しみから生き残り、現在は安定した国家をここに築いているのです。
アルメニアの歴史と現代のアルメニア
アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教として採用した国家としても知られています。
それははるか昔西暦301年のことです。
中央アジアに位置するアルメニアは、ペルシアやマケドニアによる支配から始まり、東ローマ・アラブ・オスマン帝国・ロシアなどに次々と支配される歴史をたどってきました。
こうした支配が繰り返される中で、オスマン帝国とロシアに分かれて暮らしていたアルメニア人たちでしたが、近代になって民族意識が芽生え始めました。
オスマン帝国に住むアルメニア人はヨーロッパの民主主義運動に感化され、一方のロシアに住むアルメニア人は革命思想に影響を受けていきます。
オスマン帝国に住むアルメニア人は穏健派が多く、やがてイスラム教のオスマン帝国から非ムスリムであるアルメニア人にもムスリムと対等の市民的権利が保障されたのです。
しかしあまりにも急激に民主化が進んだため、イスラム教徒のクルド人たちは危機感を覚えます。
この対立が激化してアルメニア人大量虐殺が起きてしまったのです。
この時沢山のアルメニア人が国外に逃げ、現在アルメニアに国籍のないアルメニア人は700万人程度と推定されています。
その後も戦火が途切れることがなく、最終的にアルメニアが選んだのがソビエト連邦の一員になることでした。
これを決定したアルメニアの首相は、「少ない方の災厄を選べば生き残る余地が残され、ソビエト・ロシア代表との合意に達した」と決断の意図を語ったそうです。
ソビエト連邦崩壊後、独立国となったアルメニアですが、アゼルバイジャンとの争いは続いていました。
それでも2003年には旧ソ連諸国として4番目に世界貿易機関(WTO)に正式加入し現在にいたっています。
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