仕方なくではあったようですが、渋沢栄一は民部省に出仕することになりました。
2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」では、このころが中盤になるのでしょうか。
役柄は不明ですが、出演者の名前もチラホラ上がっているようです。
コロナの影響もあり、クランクインがいつのなるのかは発表されていませんが、今後の動向が楽しみです。
では、明治政府に召喚された途端、暴れ始めた渋沢栄一の様子を紹介します。
グチャグチャな組織を改編
民部省に出仕した渋沢栄一が驚いたのは、職務権限の不確かな膨大さと担当部署と担当内容の乱雑さでした。
これでは何もできないのと同じではないか!?
渋沢栄一は、さっそく大隈重信に建議しました。
「今の省では、新しい日本国の仕組み作りは進みません。省内の有能な人材を集めて、効率よく業務を進めるための、新しい組織を作る必要があります。省が取り組むべき制度の新設・改正に必要な提言・企画・立案を担当させましょう」
これは現代の会社でいう、プロジェクトチームに相当します。
いくら欧米を検分してきたからといって、この発想が誰にでもできるわけではありません。
まさに渋沢栄一ならではの構想であり、日本資本主義の父といわれるべくしてなった人物だといえるでしょう。
さて、渋沢の進言を受けた大隈は、さっそく新組織を設置しました。
民部省の精鋭たちを集めた「改正掛」は、渋沢栄一を筆頭に、静岡藩から先進国事情に詳しい若い俊才たちも呼ばれ十数名で構成されました。
元々民部省に在籍していたものたちは、本来の業務を行いながらの任務となりましたが、徹夜が続くこともいとわず日本の国づくりのために働いたと伝わってます。
改正掛でも、静岡藩の若者が呼ばれていますが、実は新政府の実務官吏には、静岡藩出身者がたくさんいました。
幕臣が多く集まる静岡藩は、人材の宝庫となっており、旧幕府の幕臣たちが、新しい日本の国を作るための基盤つくりに大いに活躍したのです。
改正掛は、大きな成果を上げていきました。
度量衝の改正・廃藩置県・地租改正・国立銀行条例・郵便制度の創設・富岡製糸場の建設・貨幣制度の改正・鉄道などなど。
歴史の教科書で、新政府が行ったこととされる内容が載っていましたが、そのほとんどが渋沢らの企画立案が元になっていたのです。
2年後、幕臣を毛嫌いする大久保が大蔵卿に就任したとき、この改正掛は廃止されてしまいました。
個人的に筆者は大久保利通が嫌いですが、ここで一言いわせてください。
「先見の明が無い田舎者がぁぁぁぁぁ!!!!」・・・です。
この年、太政官は大幅な組織改正に伴う人事異動を行い、その流れで大久保が大蔵卿となったのですが、その下についたのが大蔵大輔・井上薫でした。
この時から、井上が渋沢栄一の直属の上司となり、これがかなりナイスはコンビになっていくのです。
詳細は、次回紹介することにします。
渋沢栄一からみた大隈重信とは
「彼は人が漏らした一言を、案外よく記憶していて驚くことが多かった。
ただ、彼との話は、彼の話を一方的に聞かされることが多く、相談や意見をもって大隈を訪ねても、彼の話を拝聴して終わってしまい、せっかくの意見も言い出せずに終わる者が多かった。
だから自分は必ず『先に私の用件を聞いてほしい。ご高見はその後でお伺いします』といったものだ。
それでも、途中からわき道に引きずり込まれることがあり、油断も隙もなかった」
いますよねぇ・・・こういう人。
求心力や人望があり、なおかつ話好きな人にはありがちなことかもしれません。
対して、渋沢栄一は、求心力や人望・能力があり、人の話をじっくり聞くタイプの人物のように感じます。
言うべきことは言い、聞くべきことはしっかりと耳を貸す。
そんな渋沢栄一の活躍は、まだまだ続きます。
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