歴史上の武将の肖像画間違い 実は明智光秀も違っていた

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀の肖像画が全くの別人だった話、知ってますか?

あの肖像画を光秀だと言ったのは誰か、公表はされていませんが「いい加減しろ!」と言ってやりたいレベルです。

こじつけとしか思えない理由で・・・実際の肖像画の御本人は、あの世で長い間怒っていたかもしれません。



光秀ではなかった肖像画とは!?

大阪府にある本徳寺所蔵の明智光秀肖像画が、実は確証がないことが解っています。

優し気で知的な面差しあ、実は違っていたなんて・・・

衣装に飾られた家紋は「変り陰雪待ち笹紋」。

また絵の上部に記載されている戒名と人物像が、光秀とは全く違う人物をさしています。

この肖像画を光秀とした理由は、戒名に光と秀があるからとのこと。

戒名は「輝雲通琇禅定門」といいますすが、どこに光と秀があるか分かりますか?

輝くにある光と琇にある秀です。

しかもこの戒名を持つ人物は実際に実在し、本徳寺を建立した始祖とされる人物です。

光秀がなくなったのは、この方が亡くなった18年後だということが分かっています。

一方ウィキペディアでは、

『寺を開基した南国梵桂は、一説には明智光秀の長男・明智光慶だと言われる。光慶は出家し、妙心寺の塔頭瑞松院に住して「玄琳」を名乗った。
瑞松院は、江戸初期には光秀の妻・煕子の実家である旗本妻木氏が檀那となっていた。また、玄琳の師は大心院主・三英瑞省で、光秀の三女・珠(細川ガラシャ)の夫・細川忠興が檀那となっていた。』

とあるので、これが本当であれば全くの無関係とは言えないのかもしれませんね。

他にもあるある歴史上の武将の肖像画間違い

実は別人かもしれない肖像画が、実は他にも存在します。

昔は歴史の教科書に掲載されていた肖像画も、根拠がないという理由で削除されいるものも少なくありません。

例えば誰?・・・を紹介します。

聖徳太子

飛鳥時代の皇族。

かつては1万円札の顔でした。

しかし、周りに子供がいる一番ポピュラーな肖像画が、時代背景的に合致しないそうです。

西郷隆盛

NHK大河でも最近高勝率を上げた西郷隆盛。

彼については、写真や肖像画の類は元々ないと伝わっています。

西郷隆盛の肖像画は、実は弟の西郷従道と従兄弟の大山巌を模して描かれたものです。

足利尊氏

教科書に掲載されていた足利尊氏ですが、根拠がないのではとされています。

足利義政

銀閣寺を建立した将軍です。

彼の肖像画と言われるものに書かれた家紋は、足利家の家紋とは別のものだと物議をかもしています。

武田信玄

恰幅がよく髭面で頭が坊主。

これが一番多い武田信玄像ですが、これは本人ではなく能登畠山氏の肖像のではないかと言われています。

武田信玄は子の勝頼などから考えても、痩せた上品で神経質そうな武将の肖像画が当てはまるようです。

源頼朝

「絹本着色伝源頼朝像」という肖像画。

20年ほど前に「これは足利直義像なのでは?」という説が浮上し、現在もはっきりとしたことが分かっていないそうです。

鎌倉幕府が開かれたのも1192年ではなく1185年と変更になったり・・・この時代に確かな痕跡を見つけるのは大変困難なことなのかもしれません。

フランシスコ・ザビエル

フランシスコ・ザビエル=てっぺん禿げ。

私たちの知っているフランシスコ・ザビエルは、貧相で禿げという、おおよそモテナイ男代表のような感じでした。

ところが、実は髪ふさふさのイケメンだったというが正しいらしいと、最近ではいわれています。

あのザビエルの肖像画は、実際に本人を見て描かれたものではないというのが事実。

またザビエルの肖像画とされる髪型は、同じ修道士でもカトリック系の人が行っていた「トンスラ」といわれるもので、ザビエルが所属していたイエズス会には、その習慣はなかったそうです。

またザビエルの肖像画が描かれたのは没後80年も経ってから。

ザビエルの面影を慕って描かれたのか、それとも全くの別人なのかは不明です。



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