2020年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢は薩摩藩での潜入捜査の首尾も上々。
翌年は喜作と一緒に「関東人選御用」の任につきました。
関東地方、特に江戸近辺に詳しい二人に期待されたのは、有能な人材の確保です。
本来であれば一橋家の家臣として関東に向かうのは誇り高く胸躍るものであるはず。
ですが二人はついこの前までイッパシの志士気取りで討幕を叫んでいたのです。
心境には複雑なものがあったのではないでしょうか。
一橋家の家臣になるきっかけとなった長七郎の救出と家族や郷里の友人たちとの再開を密かに計画し、二人は関東に向け出立しました。
栄一と喜作 関東人選御用の任の成果
今回は首尾よくというわけにはいきませんでした。
江戸で討幕を目論んで道場や塾を歩いていた二人には、目星をつけていた人物が沢山いたのです。
彼らを目指して訪ねた千葉道場や海保塾などの多くの同志が、既に水戸藩尊王攘夷派・天狗党に加わっていたからです。
結局農民40人を含めた50人ほどしか集められないという惨敗でした。
しかしこの中に従兄の須永伝蔵がいたことは、栄一にとっても嬉しく思ったことでしょう。
栄一と喜作 長七郎救出失敗
「もう直ぐ幕府も終わりだ。京へ来い。」といった内容の手紙を携えて京に向かった長七郎が突発的な殺人を犯し捕縛。
その手紙の差出人が栄一だったことから、平岡に助けを求め、結果一橋家の家臣になったという経緯があります。
長七郎は牢の中で拷問にあっても、手紙の差出人については一切白状しなかったようです。
長七郎を救い出せないか・・
渋沢栄一は一橋家の側用人・黒川嘉兵衛に、長七郎の赦免依頼文を書いてもらったのですが、殺人の現行犯であるという理由から面会さえもできませんでした。
栄一と喜作 故郷に帰れず
栄一が最初の師とした尾高はそのころ岡部藩の牢屋に入れられていました。
理由は天狗党の人間が尾高の家を訪ねたことで、天狗党との関係を疑われたからです。
末弟の平九郎も牢にこそ入ってはいないものの、宿預かりとなり監視の対象になっていました。
また栄一と喜作も岡部藩では謀叛人扱いされていることが分かり、とても血洗島村に入れる状況ではありません。
栄一と喜作がそれぞれの父と会ったのは、現在の熊谷市にあった宿でした。
また血洗島村の隣村で妻・ちよと2歳になった可愛い盛りの歌子に束の間会うのがやっとでした。
情の厚い栄一のことですから、妻には申し訳ない気持ちでいっぱいだったでしょう。
娘・歌子を不憫に思う気持ちも強かったに違いありません。
しかしこの家族が再び会えるのは4年後になろうとは、この時は想像もしなかった栄一でした。
平岡が暗殺される
関東で人選御用に奔走している最中、「平岡暗殺」の報が栄一と喜作に届きました。
京を立つ際夕食をともにし、巡回の心得なども教えてくれた平岡です。
栄一と喜作の才覚を認め命を助けてくれた平岡が殺されてしまったことに、茫然自失する2人でした。
水戸藩は基本的に尊王攘夷派が多数を占めていました。
慶喜が攘夷をしないのは平岡がいるからだ!と強硬な攘夷派からは憎まれており、家老の家からの帰りに水戸藩士に襲われ落命したのです。
このころの平岡を揶揄する言葉が残っています。
「天下の権、朝廷にあるべくして幕府にあり。幕府にあるべくして一橋にあり。一橋にあるべくして平岡にあり。」
というものです。
命を狙われていることは承知していた平岡でしたが、防ぎきれなかったことは無念だったことでしょう。
ともかくも平岡に出会って9ヶ月という短い時間の中で、栄一は多くのことを学びました。
平岡は真に私情のない人格者で、身分に関係なく有能な者は躊躇なく登用し、自分とは違う意見にも耳を傾ける人でした。
各人の素質を見抜き彼らを生かしながら政を行ってきた平岡を間近で見た栄一と喜作は、その後の人生において多くの影響を受けることになりました。
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