2020年NHK大河ドラマの主人公明知光秀が最後に残した言葉を調べてみました♪
俗にいうところの、辞世の句というものです。
しかしまさか農民に撲殺されるとは思ってもいなかったでしょうから、そんな時に悠長に辞世の句など詠めたのでしょうか。
はなはだ疑問だというのが、まずは筆者の疑念です。
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明智光秀最後の言葉 辞世の句
「心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ」
光秀らしい句だと思います。
私の本心を知らないものは勝手に言いたいことを言えば良い。
私は命を惜しむものでは無いし、ましてや名も惜しまない。
という意味でしょうか。
実は明智光秀辞世の句は、もう一つあります。
「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」
難しいですが、意味を訳してみます。
順序正しい道もそれに逆らった道も、同じ一本道に変わりはない。
つまり逆臣とて、武家という一本道に変わりなく、武家が従う大道は天皇でしかありえない。
55年の夢のような時が覚めれば、私も一元に帰すのみ。
明智光秀最後の言葉 辞世の句の真実
明智光秀最後の言葉、辞世の句として知られた二つの句は、いずれも後世の軍紀物に書かれたストーリーの一部です。
明智光秀自身が本当に詠んだ句では無いことは、既に多くの人に知られています。
主に『明智軍記』からの引用で、当書は一般的史料価値は低い俗書とされています。
つまり謎が多い明智光秀にスポットを当てた娯楽小説の位置づけです。
実際、光秀は天下を取ったわけでですし、天皇を筆頭とする京都を守るつもりだったはずで、決して自分が討ち死にするとは思っていなかったでしょう。
辞世の句など残しているほうが変だと思います。
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辞世の句とは
ところで、辞世の句とはなんでしょうか?
辞世とは、この世を去ることを意味します。
自分の死を認識し、最後に残す漢詩、偈、和歌、発句またはそれに類する短型詩の類をさします。
偈(げ)は仏教用語で、偈陀(げだ)の略。経文をたたえる詩です。
これは日本だけではなく、東アジア固有の風俗だそうです。
内容は自分の人生を振り返っての感慨や総括などが題材とされます。
概ね死期を想定して予め用意されている作品を指しますが、作品を残す時間もなく急逝した場合は最後に詠んだ句を辞世の句ともいいます。
松の廊下で刀を抜いたことで処刑されてしまった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は、「「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」という辞世の句を残しています。
「風に吹かれ散っていく花も春を名残惜しいと思うだろうが、それよりも春を名残惜しく思う私はどうすればいいのだろう」的な意味合いでしょうか。
一方赤穂浪士として主君浅野内匠頭の敵討ちを果たした大石内蔵助の辞世の句は、「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」でした。
明智光秀の娘として余りのも有名な細川ガラシャは、「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」という辞世の句を残しています。
日本では鎌倉時代か室町時代辺りに辞世の句が作られるようになり、切腹などの際は無くてはならない流儀の一つにまでなりました。
東南アジア固有の風習ということは、仏教が関わっているのではないでしょうか。
元々は禅僧が死に際して偈を絶筆として残す風習があり、それに対し公家や武家の中で格調高い和歌を辞世の句として残す人がいたことが発端だったのではないかといわれています。
現代でも少なからぬ人が辞世の句を準備して、自分の死を真摯に受け止め見つめています。
潔さと相まって、日本に溶け込んだ風習といえるでしょう。
あらたのし おもいははるる みはすつる 浮き世の月に かかるくもなし (内蔵助)
浮世の月にかかる雲なし。なんとも爽やかで凛とした辞世の句ですね。