6月7日の麒麟がくる、桶狭間で今川義元の首を取った毛利新介。今井翼さんが演じています。
ドラマでは、2メートルも上からという大ジャンプで、今川義元を打ち取るという華麗な場面になっていました。
され、その毛利新介について紹介しましょう
毛利新介も出自は不明
毛利新介にも、たくさんの名前があります。
毛利新助・毛利良勝・毛利新左衛門という名も、記録に残っているようです。
桶狭間の合戦後、良勝と名乗り、通称で新左衛門と名乗ったといわれています。
もともと、織田の馬回りだったとも、小姓だったのではともいわれており、実際のところは全く分かってはいません。
今川義元に一番槍をつけたのは、毛利新介ではなく、服部一忠でした。
服部が膝を切られ、それをみた毛利新介が助太刀に入ったのです。
そこで今川義元の首を取るという、一攫千金の働きを手にしたのです。
真実は定かではありませんが、この時、今川義元に指を噛み切られたという話が伝わっています。
桶狭間後の毛利新介
桶狭間の合戦後、毛利新介に目立った活躍はありません。
ただ、織田信長には目をかけられていた様子がうかがえます。
織田信長は、黒母衣衆(くろほろしゅう)と赤母衣衆(あかほろしゅう)という隊を作っていました。
この母衣とは、戦場で背中につける大きな風船のようなもののことです。
余り映画やドラマでは見かけませんが、当時は槍を防ぐエアバッグのような役目があったようです。
背中につけた布が風に膨らんで風船のようになるものですから、馬を使える武将のためのものだったのでしょう。
黒母衣衆には佐々成正、赤母衣衆には前田利家が所属していましたから、それなりに選ばれた戦士ということになるかと思います。
そんな黒母衣衆に、毛利新介の名前があります。
ただ、通常は、信長の側近として尺限廻番衆(さくきわまわりばんしゅう)に属し、判物や書状に署名を残しています。
毛利新介の最後
可もなく不可もなく戦場を走った毛利新介は、本能寺の変でなくなっています。
本能寺の変が起きた時、毛利新介は、織田の嫡男・織田信忠と行動を共にしていました。
二条御新造で織田信忠を守るべく明智軍に応戦し、討ち死にしたと伝わっています。
「麒麟がくる」の毛利新介を演じる今井翼への感想
6月7日放送の麒麟がくる「決戦!桶狭間」終了後、ツイッターでは「#今井翼」が急上昇ワードになっていました。
大河ドラマでのワイヤーアクションは、もしかしたら始めてかもしれません。
「インパクトすごい!」「かっこいい」「翼君のワイヤーアクション、見慣れてるしww」などの感想で、かなり盛り上がっていたようです。
今川義元の目からみた、自分を襲う毛利新介という画を撮るというのが、今回の撮影の主眼だったようです。
ダイナミックに見えるよう、何度も何度も撮り直しをした結果が、21回目の「決戦!桶狭間」で使われた、今井翼くんのシーンだったのです。
麒麟がくるならぬ、「今井翼がくる」とか、「翼だけに、翼が生えたような殺人シーンが圧巻」といった声もあがっていました。
今井翼本人のコメントです。
「身に余る演出をつけていただき、胸が高鳴る時間を過ごさせていただきました」
帝劇で培ったワイヤーアクションのスキルが、麒麟がくるで役にたつとは、今井翼くんご本人も思ってもいなかったのかもしれません。
毛利新介の生涯を調べてみた結果、この後の活躍はなさそうですが・・・
新たなキャストとして、今井翼くんの活躍が、また観られると良いですね。
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