本能寺の変「麒麟が来る」2020年NHK大河ドラマ

 

2020年NHK大河「麒麟が来る」のクライマックスになるだろう本能寺の変。

明智の三日天下と揶揄されてきたこの歴史の転換は、一夜にして織田を滅ぼすものでした。

誰もが知っている本能寺の変ですが、改めて紹介します♪



本能寺へ向かうまで

 

信長が光秀に秀吉の援軍として中国に向かうよう指示をしました。

その命を受けて光秀は坂本城を出発し、丹波亀山城に入りました。

そして恒例となっている愛宕山に参拝し、必勝祈願を行っています。

翌日、これも恒例となっている必勝祈願の連歌を催しています。

この時光秀が詠んだとされている句が、後の世で逆賊とされた理由に利用されました。

「ときは今 あめが下しる 五月哉」

「とき」は明智の本家、土岐を意味し、「下しる」は天下を治めるという意味にとられたのです。

まさかこの句が!と、あの世で光秀も茫然としたかもしれません。

ともあれこの後、光秀は亀山城に戻り出陣の準備をしています。

同じころ、信長は安土城を出て僅かな人数を伴なって本能寺に入っています。

余談ですが、本能寺は本来は本応寺と称される日蓮宗のお寺です。

広い敷地とそれを取り巻く堀や土塁など、寺というよりチョットした城のような機能を持ったお寺でした。

本能寺の変勃発

 

信長の供回りが少なく無防備であること、そして徳川を案内していはずの嫡男信忠が何故か突然京都に戻ったのです。

織田信長、信忠親子を一気に攻め落とせる千載一遇のチャンス到来です。

またこの時織田家の主な武将たちは、直ぐには戻れない距離で戦をしており、京都の周りには明智軍しかいなかったのです。

黄昏が闇に変わるころ、明智軍はひたすら京を目指します。

途中の王子村で、別動隊が分かれて信忠のいる二条・妙覚寺を目指します。

漆黒の闇を歩く事16キロ。

桂川に差し掛かったところで指令が飛びました。

「馬の沓を脱がせるべし! 徒歩のものは新しい草鞋に履き替えるべし! 鉄砲隊は火縄に火をつけ、一尺五寸に切った火縄の火が消えぬよう逆さに持つべし!」

川幅350mの桂川を渡り北に進路をとれば本能寺です。

そして桂川を全軍が渡ったことを確認した後、あの有名な言葉が発せられたのです。

「敵は本能寺にあり」

明智の先方隊が本能寺を視野に入れた時には、既に夜明け直前になっていました。

信長を主役にしたドラマや映画では、華々しい本能寺での戦いですが、当事者の言い伝えによると少し様相が違っていたようです。

まず本能寺に入ることは、とてもたやすく、織田の供回りからの抵抗は殆どなかったようです。

寺の中は閑散としており、本堂に入っても誰もいなかったとあります。

暫くして異変に気付いた小姓が3人出てきましたが、すぐさま打ち取られています。

声に気がついた信長が森蘭丸に何事だと問い、蘭丸が外に桔梗紋の旗印を見つけて、ようやく明智軍であることが判明したのです。

信長のセリフ、「是非もない(しかたがない)」はこの時の言葉です。

戦闘は思った以上に明智軍の圧勝だったと思われます。

本能寺の変は、誰もが知るところの死体無き勝利でした。

当時の戦いでは、首を取ることで勝利宣言が有効だったのです。

これが無かったことが、明智の三日天下に繋がってしまいます。

織田信長の嫡男信忠も、明智軍に攻め込まれ自刃して果てています。

しかし信長同様死体は焼かれています。

 

本能寺の変の後の光秀の動き

 

信長を打ち取ったあと、織田の城である安土城に入ろうとした光秀ですが、信長の首がなくその死を確認できない事を理由に橋が落とされ安土城には入城できませんでした。

やむなく坂本城にもどり、ここから諸侯に手紙を書いています。

野口城主・西尾光教に渡された手紙が現存しており、その中に「信長父子の悪逆は天下の妨げ」とあります。

こうした手紙攻勢を4日間続け、自分に味方するよう要請しています。

しかしこの間に秀吉が信長の死を知り、毛利と和睦して光秀目指して進軍している事を知る由もありませんでした。



コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください