2020年NHK大河「麒麟が来る」では、明智光安を演じるのは西村まさ彦さんです。
西村さんが演じるのですから、イメージは知者でしょうか。
ドラマや映画などでも登場することが少なく、いったいどんな人物だったのか。
名前さえも始めて聞いたという筆者のような人もいるのではと思い、調べてみました。
何しろ明智家はしっかりした史実がありません。
道三からみた明智だったり、朝廷に残る記録だったり、そんな細い糸を辿ってみました。
明智光安は明智光秀の叔父だったらしい
明智光秀の両親や、産まれた場所についても諸説あり、この人が親だと断定できる資料すらありません。
言い伝えに近いものではありますが、明智光秀の父親は明智光綱だったのではないかという推測が、今一番近いだろうとされています。
そこをスタート地点として、明智光安を紹介します。
明智光安は、明智光秀の父、光綱の弟だったようです。
従って、光秀には叔父にあたります。
光綱は若くして討ち死にし、幼い光秀が残されます。
そこで光秀の後見人という形で家督を継ぎ、明智城に入りました。
道三の息子、斎藤義龍に攻め落とされるまで、光安が実権を握っていました。
通説では、光秀が家督を継ぐことを固辞したためといわれています。
明智光安は、1547年に、室町幕府の将軍・足利義晴に謁見しており、従五位下兵庫頭を授かりました。
明智氏は、東美濃を納めていたと考えられます。
斎藤道三が土岐氏の中で台頭してくると、光安はまだ幼い妹の小見の方を斎藤家に人質として出しています。
これについては、光安が取り計らったという説と、まだ存命中の光綱の意向だったという、二つの説があります。
小見の方は、のちに斎藤道三の正室となり、帰蝶を生んでいます。
光秀からみたら、道三は義理の叔父です。
光安からは、道三は妹婿になります。
強いものに迎合し家を守るのは、当時は当たり前の事です。
しかし道三が息子義龍に攻められた際、道三に味方した事から明智は城を追われる事になり、この時光安は自刃しています。
光秀と光安
家督を継ぐことをしなかった光秀ですが、明智宗家の嫡男である事に変わりはありません。
光安は自分が死ぬ前に、自分の長男である明智秀光に光秀を託し、城から脱出させました。
光安は自分が実権を握っていることを自覚しながらも、心はいつも光秀の後見人だったのでしょう。
明智家の存亡と繁栄を常に案じながら、光秀をいつくしんで育ててきたのだろうと思います。
光秀もそんな光安の気持ちを知っていたからこそ、なお強く家督相続を辞退してきたのではないでしょうか。
いずれにしろ、明智家の律義さに感銘する筆者です。
明智城から逃げ延びた光秀は家臣たちを連れながら、武将としての生き残りをかけて士官の道を探る事になりました。
紆余曲折はありましたが、織田随一の智将といわれるまでになり、やがて本能寺の変へと駒を進めます。
明智光安の異説
明智光安は、実は明智遠山氏を継いだ遠山景行と同一人物ではないかという説です。
これは明治期に阿部直輔によって謄写校正された『恵那叢書』(鷹見弥之右衛門著)によるものです。
しかしそうなると、光安は光綱の弟ではなく子供という事になり、光秀とは兄弟となります。
もしかしたら光綱の側室の子で、遠山氏に養子縁組という形で出された可能性が無いとはいえません。
しかし年齢的に辻褄が合わなくなってしまいます。
若くして亡くなった光綱に、幼い光秀の後見人となれる程の年齢になる子供がいたとは考えにくいのではないでしょうか。
しかし2020年NHK大河「麒麟が来る」では、あくまでも光秀の叔父としてキャスティングされているようです。
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