人は人と出会ことで運命が変わっていく。
これを体現したかのような渋沢栄一ですが、ここでもまた大きな出会いが彼を変えることになります。
2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一が、討幕から幕臣に転身するきっかけとなった一橋家の側用人・平岡円四郎との出会いについて紹介します。
攘夷は無謀だ!と言われ絶句する渋沢栄一
父の許しをもらった栄一たちは、江戸に出て早速武具の調達などに走り回っていました。
そんな中、一緒に江戸に出ていた喜作が一橋家の御用談所調方頭取(ごようだんしょしらべかたとうどり)の川村恵十郎と出会います。
川村恵十郎は平岡円四郎の部下にあたり、元々平岡が川村の才知を見抜き家臣としたという流れがありました。
川村の仕事は、城下の塾や道場を回り気骨のある有能な人材を探し、家臣の選任をすることでした。
当時既に栄一たちの名は知れわたっており、平岡に対し強く推挙したいと考えていたことが日記に残っています。
一方栄一たちも、『一橋家』という大きな看板が何かあったときに役に立つかもしれないと考え、平岡に会うことにしました。
栄一は尊王攘夷の必要性や幕府の悪政に対する庶民の憤りなど思いのたけを平岡に申し立て、平岡もそれをじっくり聞いていたといわれています。
しかし最後に平岡が口にしたのは、「攘夷というのは無謀だ」でした。
平岡円四郎とは
平岡円四郎は1822年・岡本忠次郎の四男として産まれ、後に平岡文次郎の養子となったため姓が平岡となりました。
若いころから学問所の頭取りになるなど、聡明さは広く知られていた人物です。
慶喜から有能な家来を相談された斉昭は平岡を推挙され採用した形になります。
平岡が慶喜の近習となったのは32歳の時で、慶喜に対し開国を強く説いたようです。
平岡が栄一に対し「攘夷は無謀」といった理由は、今考えればもっともなことです。
「日本の外にはどれだけの夷狄(いてき=外国の意)があるか知っているか?それらがどのように暮らし、どのような文化を持っているか知っているか? 何も知らない日本で、日本のことだけを考えていては駄目だ」
日本以外のことなど考えたこともなかった栄一は、この言葉には唖然としました。
攘夷を説得されたわけではありませんが、憮然とした表情で屋敷を下がり帰途についたようです。
平岡は農民の栄一が臆することなく自説を述べる様子に頼もしさを感じ、家来に取り立てることに決めました。
この頃の農民というのは藩の持ち物的な立場です。
栄一や喜作を一橋家の家来にするには、栄一たちの故郷岡部藩と交渉し許可を得る必要があります。
こうした面倒も栄一たちを平岡に推挙した川村が引き受けて動きました。
渋沢栄一の危機!
憂国の士たちの間で名前が知れ渡っていた渋沢栄一たちは、当然ですが役人にも知られることとなってしまいました。
役人に逐一動向を探られ自分たちの身の危険を感じざるを得ない状況です。
そこで平岡を再び訪れ、大見得をきったと伝わっています。
その見得というのが・・・
「何が起こるか分からない不穏なご時世。一橋家に不測の事態が起こった際は、壮士を5、60人率いて馳せ参じます」
とうもの。
平岡は「それは有難い。よろしく頼む」と答えました。
続けて一橋家には士官の道が開かれており、武士になって京に上る慶喜について一緒に京都へ行かないかと誘いました。
しかし決起を間近に控えた栄一たちが京に行くことはできません。
直ぐには行けないと断る栄一に、では俺の家臣として後から来るがよかろうと、栄一が狙った以上の言葉が返ってきたのです。
これで何かあったときは「一橋家の平岡」の名前が使えると小躍りしたい気持ちだったでしょう。
これが渋沢栄一の運命を変える第一歩だということも知らずに・・・
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