2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に、架空の人物として登場する伊呂波太夫。
越後の朝倉義景のもとに、光秀たちを案内したときに、近衛家の姫君であるということが分かりました。
実は今回設定された伊呂波太夫は、近衛家に拾われ育てられた子といものです。
そして近衛家で伊呂波太夫と兄弟のように育ったのが、嫡男・前久でした。
実在の人物である近衛前久と、架空の人物である伊呂波太夫は、これからどう描かれていくのか楽しみが増えました。
それでは、本郷奏多が演じる近衛前久について紹介しましょう。
本郷奏多さんが近衛前久を演じるにあたりだしたコメント
「実在の人物である前久と、オリジナルのキャラクターである伊呂波太夫との関係性もおもしろいと思っています。公家として仕事をするときはキリッとした表情で、伊呂波太夫との絡みでは少し子どもっぽい面を出して、二面性というかメリハリをつけて演じていきたいです。」
実際、近衛前久という人物は、公家でありながらも類まれな行動力を持ち、武士の社会だった当時の政治まで介入しています。
公家としての生き残る道を模索していた若き関白・近藤前久の生涯とは!?
近衛前久の生涯
近衛前久は、藤原北家(藤原道長の家)の流れをくむ近衛家の長男として生まれました。
公家の中でも、トップクラスの家柄です。
18歳で左大臣・関白・藤氏長者(藤原氏のリーダー)になり、19歳で従一位になるという、現代では考えらえないほどの速さで出世しています。
彼が活躍した時代は、足利13代将軍・義輝から15代将軍・義昭のころでした。
長い応仁の乱のあと、将軍家だけではなく、公家も疲弊していた時代です。
生き残り=武家と思いがちですが、公家もまた生き残りを図っていた時代ともいえます。
関白の座にあった前久ですが、決してあぐらをかくことはありませんでした。
自ら北陸や関東に出向き、世の安寧、ひいては朝廷の安泰を模索していたのです。
彼が北陸に出向いたのも、関東に出向いたのも、上杉謙信を助けるためでした。
謙信の関東平定に味方し、平定後は京の守護の任命し力を借りようとしていたのです。
しかし謙信の関東征伐は、なかなかうまく運びませんでした。
あきらめて京に帰った近衛前久を出迎えたのは、松永久秀や三好三人衆です。
このころ、13代将軍・足利義輝が暗殺されていますから、麒麟がくる的には、もう少し先の話になります。
14代将軍は、結局、京には一歩も入れていません。
そうこうするうちに、信長が15代将軍になりたいと切望する足利義昭を連れて京にあがってきたのです。
義昭は、兄・義輝の暗殺に近衛前久が1枚噛んでいるのではないかと疑い、朝廷から追放します。
近衛前久は関白の座を奪われ、仕方なく縁戚の赤井直正や本願寺に身を寄せます。
一見、信長とは敵対するようなポジションですが、実は信長の信頼を得て、九州方面の大名や本願寺との連絡・折衝役を任されています。
したたかというか、軽やかというか・・・
しかし織田家の近衛家の仲は、長くは続きませんでした。
本能寺の変が起きたのです。
朋友であった信長の死を受けて、前久は髪を落とし仏門に入りました。
その後は静かな余生を送ったようですが、信長の七回忌に「なみあみだぶ」の1文字ずつを頭につけた句を詠んで、故人を追悼したと残されています。
(な)
嘆きても 名残つきせぬ 涙かな なお慕わるる 亡きが面影
(む)
睦まじき 昔の人や 向かうらむ むなしき空の むらさきの雲
(あ)
あだし世の 哀れ思えば 明け暮れに 雨か涙か あまる衣手
(み)
見てもなお みまくほしきは みのこして 峰に隠るる 短夜の月
(た)
尋ねても 魂(たま)のありかは 玉ゆらも たもとの露に 誰か宿さむ
(ふ)
更くる夜の 臥所あれつつ 吹く風に 再び見えぬ ふるあとの夢
映画などで見る当時の公家は、白塗りの顔に表情もなく、後ろでコソコソうごめいている印象ですが、近衛前久にその雰囲気はありません。
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