子供時代を過ごした土佐時代以外、坂本龍馬はなかなかのモテ男だったことが伺えます。
亀山社中を起こし、商才を遺憾なく発揮していた長崎時代も女性の影が見え隠れします。
長崎に残る龍馬の史跡と、龍馬を愛する人たちが思いを込めて作った観光名所、そして龍馬を取り巻く女性たちについて紹介します♪
坂本龍馬関連史跡紹介
龍馬が始めて長崎を訪れたのは、1864年、勝海舟と一緒でした。
始めてみた長崎は、イギリスやアメリカなどの異国文化がすでに根付き、外国人の姿を見かける事も多い刺激的な街でした。
そんな長崎に龍馬が起こしたのが亀山社中という、日本初の商社です。
彼の商才を見込んだ薩摩藩が後ろ盾となり出資していたというのは知られた話です。
亀山社中記念館
亀山とは当時のこの辺りの地名です。
社中とは仲間という意味があり、亀山に集まる仲間たちという意図で亀山社中になりました。
亀山社中があった場所には、それを示す記念碑があります。
亀山社中記念館には、龍馬が着ていた紋服や姉の乙女に宛てた手紙、海援隊員の日記など、龍馬、亀山社中、海援隊関係の資料などが展示されています。
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坂本龍馬之像(風頭公園)
「龍馬の銅像建つうで会」の呼び掛けにより全国から集った募金により、平成元年5月に建立されています。
長崎港を見つめる龍馬の姿がカッコいいと評判の龍馬像です。
馬頭公園には、他にも司馬遼太郎の『竜馬がゆく』文学碑など龍馬関係のスポットも多数あります。
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龍馬ぶーつ像
坂本龍馬は、日本で初めてブーツを履いた人ではないかといわれています。
龍馬ぶーつ像は、平成7年、亀山社中創立130周年を記念して市民有志の呼び掛けによって建立されたものです。
大きな船の舵の前にブーツが置いてあり、新しい世界に船出しようとしていた龍馬を表現しています。
ぶーつには自由に足を入れられるので、ぜひ試してみてください。
龍馬ぶーつの像がある場所は、長崎都市景観賞にも選ばれており、長崎港を見下ろす絶景ポイントでもあります。
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三菱重工業長崎造船所史料館
坂本龍馬と直接関係ないと思える三菱重工創始者の岩崎弥太郎ですが、実は坂本龍馬の影響もあって商才を花開いたといわれています。
岩崎弥太郎は、土佐藩が長崎に開いた土佐商会の主任として龍馬と交流があり、龍馬の影響で海運業を志したといわれています。
土佐商会はその後、岩崎弥太郎が引き継ぎ、三菱商会と改称し運営されました。
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坂本龍馬と女性たち
長崎時代、分かっているだけでも数名の女性たちが龍馬とその仲間を支えていました。
歴史の陰に女あり!まさに龍馬もそれを地で行っていた感があります。
龍馬が愛した長崎の女性に丸山芸者をしていた「お元」という人がいました。
長崎の漁村で茂木の生まれ、よく気が利き、男好きする美貌の女性だったそうです。
芸者としては必須ですが、琴や三味線がうまく、龍馬は音曲を存分に楽しむことができたそうです。
また芸者「錦路」も龍馬を慕ったと言う話が伝わっています。
龍馬は、海援隊の本部があった小曽根邸に、おりょう(龍)としばらく住んでいましたが、おりょうが下関に移ってからは、このお元と過ごしていたということです。
おりょうさんは知っていたのかもしれません。
昔の女性の懐の深さには敬服しますね。
また、龍馬が恩恵を受けた女性が他にもいました。
大浦慶という女性で、長崎油屋町の大きな商いを切り盛りする商人として名高い女性です。
龍馬とはイギリス武器商人グラバーをはさんで初めて出会いました。
「お慶屋敷」は龍馬ら亀山社中の若者の秘密の拠点でもあり、「肝ふとかお慶さん」と親しまれ頼られていたようです。
まとめ
新しい日本を作ろうと、満身創痍で走り回っていた若い志士たちを応援する女たちは沢山いたようです。
龍馬もその中の一人だったといえばそれまでの事です。
長崎時代の龍馬は、薩摩藩という後ろ盾を得て武器商人として思う存分活躍できたのではないでしょうか?
坂本龍馬の全盛期、きっと輝いていただろう男を、男を見る目を持った女が見逃すはずはありません。
龍馬自身も、長崎時代を楽しんでいたのだろうと想像できて、龍馬ファンとしては嬉しい気持ちになります。
思い切り両翼をはばたかせ龍馬が活躍していた長崎という都市、そのゆかりの地をぜひ訪ねてみてくださいね♪
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