明智光秀が落とした城 丹波平定にスポットをあててみました part2

2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」も、いよいよクランクインしたというニュースが流れてきましたね。

鮮やかな衣装に目を奪われた人も少ないないでしょう。

そんな光秀の全盛時代ともいえる、第二回丹波平定。

光秀によって落とされた城を、前回に引き続き落城した順番に紹介します♪



——part1で紹介————–
園部城1578年7月落城
黒井城1578年8月落城
八木城落城1579年月は不明
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八上城落城1579年6月
宇津城落城1579年7月
横山城落城1579年8月
有岡城落城1579年9月

明智光秀が落とした八上城

八上城は波多野氏の本拠地。

別名八上高城ともいいます。

応仁の乱で武功をあげた永正年間に多紀郡郡代に就任した際、多紀郡多冶山に築城して居城としたことから八上城の歴史が始まりました。

その後奥谷城を築き、16世紀になって八上城を築城し本拠地としています。

八上城のある高城山は459m。

山の形が美しく富士山にも似ていることから丹波富士とも呼ばれています。

1575年織田信長の命を受けた明智光秀の兵糧攻めを受け1579年落城。

城内は餓死者が山のようだったといわれています。

また明智光秀の母が人質になったという話があるのも八上城です。

八上城へのアクセス

〇最寄り駅
JR福知山線・篠山口駅から神姫グリーンバスに乗り「八上本町」バス停下車、春日神社まで徒歩3分
春日神社口から山頂まで徒歩約50分

〇車の場合
舞鶴若狭自動車道・丹南篠山口ICから15分
駐車場は春日神社にあります。

〇登山道
春日神社口 → 右衛門コース → 山頂本丸:徒歩約50分

明智光秀が落とした宇津城

宇津城は、この地の国人領主宇津氏の居城でした。

宇津氏は、南北朝時代に佐々木道誉や高師直と並ぶ婆沙羅大名として名が聞こえていた大名です。

婆沙羅(ばさら)とは、身分の上下に頓着せず好き放題をすることで、宇津氏は天皇の御領地内での横領や略奪を行う傍若無人ぶりでした。
1569年には、織田信長から横領を制止する朱印状が下されましたが、平然と無視しています。

ところが1579年、明智光秀が大挙して進行すると、宇津城は一戦にも及ばず開城し、宇津氏は滅亡しました。

その後、宇津城は光秀によって修築され、新たに周山城として利用されています。



宇津城へのアクセス

杉木立の斜面を登ると城壁などの石積みが残っているという情報があります。

明智光秀が落とした横山城

築城年代は不明。

丹波国の有力国人の塩見頼勝が、この地に空堀と土塁だけの簡素な城を築いたのが始まりとされています。

その後、塩見氏が姓を横山に改めてからは横山城と呼ばれるようになりました。

周囲を流れる由良川・土師川が天然の堀となっているため、城を作るには要害の地として最適な地形です。

明智光秀は1579年6月に横山城の塩見大膳信房落とし、横山城の地を新たに福知山と命名し福知山城としして改修しました。

横山城へのアクセス

明智光秀が築城した福知山城のページを参照してください。

明智光秀が関わった有岡城

有岡城の戦い(ありおかじょうのたたかい)は、1578年7月から翌天1579年10月19日にかけて行われた籠城戦。

事の起こりは、羽柴秀吉軍に属していた荒木村重が突然謀反を起こし、有岡城に籠ったためす。

有岡城は別名伊丹城ともいわれ、伊丹城の戦いともいわれています。

八上城包囲網が着々と進んでいた最中、この戦いにも明知光秀は招集されています。

光秀の娘は村重の嫡男・荒木村次の妻となっていたため、親戚の縁で説得要因として選ばれたと伝わっています。

一度は人質を織田に渡して降伏しようとした村重ですが、城内の家臣たちを説得できなかったことや、降伏しても待っているのは処刑だという恐怖から、9月に逃亡しています。

結果、荒木一族と重臣衆36名家臣の妻子衆122名それ以外の人質衆男性124名、女性388名合計約670名が処刑されてしまいました。

有岡城へのアクセス

〇最寄り駅
JR・伊丹駅から徒歩0分(駅西側、有岡公園内)

〇車の場合
中国自動車道・中国池田ICから15分
駐車場はは周辺のコインパーキングを利用してください。



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