パリから渋沢栄一が家族に送った手紙 2021年NHK大河ドラマ「晴天を衝け」

パリは、渋沢栄一にとっても、驚くことが目白押しだったようです。

家族に送った、渋沢栄一の手紙がありますので、紹介してみましょう♪



渋沢栄一 パリから家族への手紙

内容は、渋沢栄一の子、渋沢秀雄さんの『父 渋沢栄一 上巻』の現代語訳・抜粋です。

『西洋の開化文明は、聞いていたより数等上で、驚き入るばかりです。
水や火を使う便利な仕掛けには、ビックリしました。
パリの地下は、すべて水と火の道です。
火はガスといって、火炎が実に清明で、夜もすべてを照らして昼間のようです。
水は噴水として町の所々で吹いています。
その水をそそいで道路のほこりをしずめます。」

渋沢栄一の妻・千代にあてた手紙の中には、洋装の渋沢栄一の写真が同封されていたそうです。

ちょんまげを切って、蝶ネクタイとした渋沢栄一の姿に、妻・千代は相当驚いたようです。

『あまりにも見る目も辛いお姿です。
どうか、元のお姿に戻ってください。
なぜ、あなた一人がそういう格好なのですか?
心が痛みます。』

と、渋沢栄一に返信を送っています。

一方、千代の兄である尾高は、次のように千代を諭したと伝わっています。

『外国に行ってまで侍の姿をしていては、だれも打ち解けてはくれないだろう。
それでは、せっかく外国まで行ったことが無駄になる。
姿や着ているものが違っても、心まで変わることはない』…と。

そんな尾高にも、渋沢栄一からの便りが届きました。

師でもあり、同志でもあった尾高にあてた手紙の内容のようです。

『結局、外国に深く接して長ずる点を学び、我が国のためにするほかはないと考えます。
以前の考えとは反対のようですが、今更日本を孤立させることなど、思いも及びません。
当地は物価が日本の5、6倍です。
しかし、金融は自在で、紙幣も正金同様に流通しています。
物価を一国内だけの相場にとどめることをせず、金本位制で他国とも連動しています。
日本も、それに倣う以外、物価を安定させる方法がないと考えます。

あなたのご意見を伺いたく思います。』

討幕を叫んでいた攘夷論者だった渋沢栄一が、欧州列強の実態と知ったことで、根底から考えを覆してしまったようです。

それほど当時の日本は、世界とは違うステージにいたということでしょう。

開発途上国に近いが、それとは違う「芯」がある特殊な国。

当時の日本は、他国から見たらたぶんそんな国だったのではないでしょうか。

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渋沢栄一が見たフランス・パリ

上記のような手紙を書く前に、渋沢英一は、エラールたちにパリを隅々まで案内されていたのです。

凱旋門から見下ろすパリは、近代都市として必要な生活基盤を備えていました。

パリの荘厳な街並みを保持するために、フランスが行っている土木工事を、渋沢栄一はつぶさに見聞しました。

凱旋門から王宮に向かう道は直線で、馬車や荷馬車が通る専用道路が確保され、三車線になっていました。

道路わきにはガス灯が並び、夜でも昼間のような明るさを確保しています。

樹木が植えられ景観を損なうことを意識的に避け、ガス灯の下からは人家の軒先まで漆喰たたきになっていて、人が歩くための専用道路になっていました。

また、ブローニュの森については、次のような感想を残しています。

『凱旋門から大通りが、そのままブローニュの森に繋がいる。
うっそうとした樹木の中には、道が何通りも走り、中央の広い道は馬車。
左右の小道は徒歩、または騎馬専用となっている。
清掃は行き届き、広大な池には、珍しい鳥が遊び、小艇があって、だれでもそれを自由に漕ぎ遊ぶことができる。』

さすがに渋沢栄一といえど、こうした見たこともない街に、唖然としただろうことが伺えます。

その時点では、どんなに頑張っても欧米列強には勝てないことが、骨身に沁みて痛感し、納得したでしょう。

しかしこうしたことが、日本に帰ってからの、渋沢栄一の柱となり、原動力となったことは間違いありません。



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