2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」明智光秀ゆかりの地 京都Ⅰ

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀のゆかりの地。

当時の京都は歴史の中心都市ですから、こんなにあるの!?というほど光秀ゆかりの地があります。

微細な場所でも、光秀ファン、大河ファンにとっては聖地になります。

ということで、「光秀ゆかりの地 京都」について、出来るだけ詳しく紹介したいと思います。

光秀ゆかりの地を探して京都に向かうあなたのお役に立てたら嬉しく思います。



明智藪

光秀終焉の地として有名な小栗栖にある明智藪ですが、実は本当の明智藪があります。

二つの明智藪について紹介します。

堤防 明智藪

福知山を流れる由良川が土師川と合流する地点は、たびたび氾濫し農民を苦しめていました。

天正8年(1580)明智光秀は福知山城と城下町の建設にあたって、河川の氾濫を防ぐために由良川の流れを大きく北に付け替えるという大規模な治水工事を施しました。

その際竹を植林し人工的に竹林を作ることで堤防の役目するよう設計したのです。

今に残るこの竹林を「明智藪」といいます。

光秀終焉の地 明智藪

山崎の戦いで敗れた光秀が敗走する最中、落ち武者狩りに襲われて絶命した場所も明智藪といいます。

京都市伏見区小栗栖の住宅街のはずれに今もその場所があり、石碑も建てられています。

行ってみるとどこが明智藪なのか識別できないほどの竹やぶで、心霊現象もささやかれる場所なだけに、気味が悪いという印象があるようです。

丹波亀山城

本能寺に向かう明智軍は、この亀山城から出発しています。

現在は宗教法人大本の本部としてその敷地内に痕跡を残すのみ。

希望すれば見学が可能ですしパンフレットなども貰えます。

本丸付近の石垣は安土桃山時代に造られたものが現在も残り、貴重な文化財とされています。

福知山城

福知山城は明治になり取り壊されてしまいましたが、昭和61年、市民運動により天守閣が再建されました。

ただ天守台の石垣は、光秀が築城した当時の面影を伝えています。

こちらの石垣は「野面積み(のずらづみ)」と呼ばれます。

自然石を巧みに組み合わせたものですが、その中に五輪塔などの石材が使われているんが見て取れます。

これは信長が関係した城の石垣に多く、旧勢力の象徴となっていた寺院の石塔などを墓石転用することで支配を示そうとしたのではないかと推察されています。

しかし、光秀は石材を集める一方でその補償として代用になる石を配ったという伝承もあり、ここでも光秀の心配りがみえてきます。

御霊神社

明智光秀の霊をまつり、光秀直筆の書状や家中軍法を蔵しています。

建立は光秀の死後100年を経てからになります。

当時の福知山城主・朽木稙昌は、宇賀御霊大神を祀る祠に明智光秀の御霊を合祀し、御霊神社を創建しました。

光秀の善政を語り継いできた領民たちは大いに喜んだと伝わっています。

明智茶屋

明智光秀ゆかりの地ではありませんが、全国の光秀ファンが集う、知る人ぞ知るカフェです。

2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が決まった時から、次々と光秀関連スイーツなども考案し販売しています。

人気No1の商品は開業当初から販売されている「光秀の愛したプリン」です。

光秀が食べたとは当然考えらえませんが、そこは気にする必要はありませんよね。

そのほかにも丹波黒豆を使った「秀でて光るマドレーヌ」、光秀の家紋の焼印が押された「桔梗ロール」など光秀に関係するスイーツが並んでいます。

詳細は公式ホームページで確認してください。

「戦国×カワイイ」をコンセプトにしているとのことですから、歴女のみなさんもきっとご用達でしょう。

始めて光秀が好きになったという人も、ゆる~く訪ねてみると楽しいと思います。

情報収集もできるかもしれませんので、今回の紹介に加えてみました。



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